波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

吉野 裕之 『砂丘の魚』

今回は『砂丘の魚』を取り上げてみましょう。
平易な語彙でかかれているのに、
なんとなくつかみどころのない世界が広がっています。

あまり具体的なことに焦点を絞らずに、
むしろ広がりがあるのが特徴かな、と思いつつ読んでいきました。

■目の前の光景とかすかな感情

とても冷えた酒を注がれてゆくときを春の野菜が口の中にある   *注がれて=つがれて

秋薔薇のかたちと思うそこにある父の齢を肯うように

詩のようなものが書けたと喜んでいるのだけれど遠い夏草

ワインだろうか、食事しているときに
酒が注がれている様子を見ながら口を動かして咀嚼しています。
それだけなのだけど、「を」という助詞に目が留まります。
「酒を注がれてゆくときに」とするよりも
かすかな違和感みたいな気分をとらえていると思います。

二首目の老いていく父親の姿と秋薔薇の繋がりに
いたわりがあります。
「秋薔薇」という語が憂いをおびて美しい。

三首目では詩ではなく「詩のようなもの」という言い方に
軽い屈折した感情があります。
喜んでいる一方で、詩とは「遠い夏草」のようなものだと
内心どこかでわかっている、といった心理ではないかなと思います。

■あなたの描き方

やわらかなあなたの影が立ち上がる素数のような春の日射しに

かなしいとことばにすればひかりが来るあなたに教えられた通りに

いちじくの煮詰められゆく時間からことばをそっと選ぶあなたは

親しいあなたへの描き方も淡いけれど、慎重な描き方になっています。

素数のような」とは面白い比喩です。
1とその数以外で割り切れない数である素数を比喩に使うことで
ささやかな日射しを詩的に描写しています。
春の優しい日射しと、あなたの影の様子が
対比をなしています。

二首目は上の句がとても無防備ですが
「あなたに教えられた通りに」で前もって
知っていた通りの「ひかり」に安堵しているのかもしれません。

三首目はいちじくのジャムかコンポートを煮ているのでしょう。
コトコトと鍋で似ている様子が浮かんできて、
言葉が選ばれるときの熟慮された様子が伝わります。

■一首のなかの空間や時間の構築

麦秋の、その韻きから広がってゆくイメージの 抱く時間    *抱く=いだく

新涼の、そして私が立っているここ/ことをあなたは知らないだろう

仙人掌をかたわらに置く 電卓をゆっくり叩く 彼女の右手

一首目と二首目は初句が似た構造の歌です。
麦秋の」そして読点によって目の前にイメージを広げてくれます。
麦秋は麦が実る初夏の時期をいいます。
黄金色の麦の穂のイメージが広がったあとに
結句では「抱く時間」に到達することで
とても儚い感覚が残ります。

二首目はもっと特徴的な歌。
「新涼の、」とくると初秋の涼しさを思い浮かべているところに
「ここ/ことをあなたは知らないだろう」と続きます。
「/」が使われている歌はほかにも結構あります。
区切られることによって視覚的にポイントができて
意味的に揺れ幅が出ます。
この一首では「私が立っているここ」という場所と
「私が立っていること」という事実を
一度に示されて描写に幅が出ます。
初秋の空気感と「あなたは知らないだろう」という認識が
すこしひんやりした質感でつながります。

三首目も面白い構造で
「彼女の右手」が行っている動作を切りとっていく手法です。
手の動きがクローズアップされていて
連続した写真を見ているような感覚を覚えます。


歌集全体を通して具体的ではないけど、
雰囲気を描くのが巧みな歌人だと思いつつ読みました。
一首の組み立て方に特徴があるので
味わいながら読むのが楽しい1冊です。

(吉野氏の「吉」は上が土の「吉」ですが、代用しています)