波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

永田淳 『湖をさがす』

 今回は短歌日記2011でもある『湖をさがす』を取り上げてみましょう。
前年の2010年に母親である河野裕子さんがなくなっているので
随所に河野さんを回想する歌が見られます。

 

■植物を詠んだ歌

酸茎菜の厚らなる葉に雫ありひとつひとつの曲面に雲      *酸茎=すぐき

枯れいるも咲きいるもある雲間草夜はそこだけを連れ忘れ来し  *夜=よ 

逝く春と誰が言いしか春ゆかず朽ちてゆくのみ木瓜は朱に咲く 

 

一首目は厚みのある葉の上の水滴に映っている
ひとつひとつの雲をとらえた一首。
酸茎菜、というところに地域の風情があります。
濃いめの緑色と滴のなかの雲の白色の対比がとてもきれいです。

雲間草はとてもかわいい丸い花びらをもつ植物です。
群れて咲いている小さな花のなかにも
咲く、枯れるのタイミングの違いがあります。
「夜はそこだけを連れ忘れ来し」という把握に、
残された側の気持ちがにじんでいるようです。

三首目の「朽ちてゆくのみ」という寂しい断言と
結句の木瓜の鮮やかな色との対比が緊迫した感じを生んでいます。


■母を詠んだ歌

竹箸の長きを持ちて子に隣り骨になりたる母を拾いき

食べえざる歯も丹念に磨きけん母の枕辺にありし歯刷子 

お母さんも喜んでますよなどという言葉は嫌い矢車の青

葬儀のシーンが詠まれていて、
当然のシーンのはずなのにちょっとぎょっとします。
存在感の大きい人ほど、亡くなった後の実感がわくまでの
時間の長さがあって目の前に骨という物体があっても
感覚が追い付かなかったのかもしれないですね。
「竹箸を持ちて」「長き竹箸を持ちて」より
ずっと違和感が出ていると思います。

「歯刷子」というささやかな日用品を描くことで
母親の最後の日々が浮かび上がります。
病気が進んで自分で食べることもかなわなくなった後でも
丁寧に磨いていたのだろう、という想像が
見守っていた人の視線となって残っています。

「お母さんも喜んでますよなどという言葉は嫌い」という言い方が
ちょっと荒っぽい感じで本音をそのままいった感じ、
生っぽい感じがします。
矢車草はとても面白いフォルムを持つ花です。
ちょっととがったような花びらのフォルムや
深みのある青い色が四句目までの言葉とマッチしています。

■水にまつわる歌

湖へ とは言わざりしかど君を乗す東はつねに湖のある方     *湖=うみ、方=かた

この身より出でゆくことのかなわざりその身を霖に打たせて帰る

そしてまた湖を探しにゆくだろうこくりと骨を鳴らしてのちに    *探しに=さがしに

たびたび出てくる湖とは琵琶湖のこと。

ご本人の著作によれば生まれたのが河野さんのご実家がある滋賀県だったそうです。
それに一定期間は滋賀県に住んでいた時期もあるので、
子供時代の思い出が根差す場所なのでしょう。

一首目、初句のなかの一字あけがとても印象的。
一字分の余白によってシンプルな言葉の向こうにある想いに想像が及びます。
歌集タイトルにもなっている「湖」という場所が
どれほど記憶の源にあるのか伝わる歌です。

二首目。どれほどつらくても、思い通りにいかなくても、
わが身を捨てて出ていくことってできない。
ひとつきりの身体の輪郭を「霖に打たせて」という行為で
存在を確かめているようです。

三首目は「こくりと骨を鳴らしてのちに」という下の句がとても面白い。
結局はなんども大事な場所、原点に戻っていくしかないという
達観が描かれているようです。

 

母親・河野裕子という大きな存在がいなくなった後の1年間に
毎日、毎日つづられたというのが
ご本人にとってもすごくいい機会だったのではないかな、と思います。