波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

大辻隆弘 『大辻隆弘集』

今回は大辻隆弘氏の初期歌集をまとめた『大辻隆弘集』を取り上げましょう。

■植物とそこから広がるイメージ

 あぢさゐにさびしき紺をそそぎゐる直立の雨、そのかぐはしさ

ゆふがほは寂しき白をほどきゐつ夕闇緊むるそのひとところ     *寂しき=しづけき

幹つたふ樹液はひかり曳くゆゑに樹のかなしみはひとの悲しみ

 

一首目は「直立の雨」がとても印象的な歌です。
雨は上から下に降ってくるものですが、
あえて「直立」とすることで厳しさが漂います。
読点の使い方も緩やかな区切りを作るのに役立っています。

二首目は螺旋を描いていた夕顔の蕾がひらいたときの様子でしょう。
ひらいた花が「夕闇緊むる」という把握に気づきがあります。

三首目は樹液が垂れる樹がなんだか人の泣き顔に重なっていきます。
「ひかり曳くゆゑに」という描写で幹の濡れている様子が強く伝わります。

 


■他者へのまなざしがある歌

くさいろの傘もつきみの肩は濡れ夕べは海のごとき校庭

告白はとどかざるゆゑ錘鉛をおろすがごとく澄みゆく愛は

きさらぎの木末ぬらして降る雪のひそけさゆゑに触れ得ざる肩    *木末=こぬれ

一首目は「くさいろの傘」でとても柔らかい印象になります。
傘⇒肩⇒校庭、とだんだん描写の対象が広がっていき
カメラを引いていくような印象を受けます。

二首目の「錘鉛」は測深器に使うおもりのこと。
「錘鉛をおろすがごとく」で静かに気持ちを鎮めていくイメージが伝わります。
「告白はとどかざるゆゑ」濁らないままの愛情、とは皮肉で悲しい歌。

三首目もしずかな断念を詠んでいます。
触れることが出来ない肩にいたるまでの描写が
主体の内面の光景にもなっています。

 


■固有名詞がいきた歌

綿毛とぶゆふぐれ母の呼ぶごときジェルソミーナといふやさしき名

体内に海抱くことのさびしさのたとへばランゲルハンス島といふ島

特に印象に残った歌を挙げておきましょう。

一首目はとても懐かしい感じがする歌です。
「ジェルソミーナ」はイタリアの名画『道』に出てきた女性の名前。
夕方に母親が名を呼んでいるというのは昔はよくあった光景でしょう。
子供時代の日常だったろう記憶と
古い映画の中身とが混ざりあっている感じがして
不思議な光景をつくっています。

二首目に出てくる「ランゲルハンス島」はすい臓に存在する内分泌腺組織。
人体に含まれる水分の多さから特定の組織の名前につなげていく
歌の構造が面白くて印象に残ったのでしょう。

       *

全体的に心象や光景を描きとめた絵画みたいな印象を受ける作品群です。
具体的な描写を重ねていくというよりは
イメージの広がりを重視した歌の構造をもっています。
私が今まで好んで読んできた歌とはまた少し違う世界のようで
すこし難解な絵を見ているような気分になりました。

大辻氏は短歌だけでなく時評や評論でも活躍されていて
『大辻隆弘集』の最後にも結社・未来で発表された時評が収められています。
今読んで当時の話題を振り返るのも面白いものです。
こちらはもう少し読みこんで別の機会に取り上げたいところです。