今回は『午後の蝶』を取り上げてみます。
ふらんす堂の短歌日記2014をまとめた本です。
装丁やサイズがかわいくて、このシリーズは大好きです。
■小さなものへの視点
わが影のかぶされるとき三匹の冬の金魚のとろりと浮き来
愛づるのみにてつかはぬ硯あるといふをかはたれどきに覚めておもひぬ
貝合はせの貝のうちなる梅の花次なる春のひかり待つべし
待ちゐよと言はれてひとを待つしばし林檎のごときすなほさにあり
とてもささやかな瞬間をさりげなくすくっているのが特徴です。
一首目、水槽に近寄って影ができたときにちょうど金魚が浮き上がってきた瞬間。
「とろりと」という語が動きだけでなく
金魚のふっくらしたフォルムを思わせて魅力的です。
二首目、習字の歌がときどき詠まれています。大切にすぎるのか
使わないままの硯の存在を明け方になんとなく思い浮かべている様子です。
「かはたれどき」というすべてがぼんやりしてしまう時間の不思議を思います。
三首目は小さな貝のなかにある小さな梅の花へのまなざしが優しい。
四首目、「林檎のごときすなほさ」とは面白い表現です。
卓に置かれたつややかな林檎と、相手を待っている姿が重なって見えてきます。
■ささやかなつながりを詠んだ歌
白湯に喉しめらせてをり逢ひし日より睫毛やさしきひととおもへり
うつむきてきみが眠りへ降るる頃のわれの上なる硬き三日月 *降るる=おるる
てのひらに冬の陽ざしを溜むるごと幾たびちさき逢ひをなしたる
他者を思うときも、ささやかなつながりを描いていることが多いです。
一首目のじんわり温かくなる喉のなかの感覚や
相手の「睫毛」という小さな部分への着目の組み合わせが面白い。
二首目は結句の「硬き三日月」が印象に残ります。
まだ芽ばえて間もない気持ちなのかもしれない、とも想像します。
三首目は「冬の陽ざし」と「ちさき逢ひ」の呼応が美しい一首です。
■失くしたものへの哀惜
もう二度と触れえぬもののいくつかをおのおのもちて昼の月見つ
さやゑんどうの莢に透きたるかなしみの萌しのごとき丸みにふれつ
あたらしき石鹸を泡だつる夜ひとの哀しみをとほくおもひぬ
踏まれたる花水木の実なほ紅しわれも失くししものを数ふる
ささやかなものを貴ぶ感覚があるからこそ喪失にも敏感なのでしょう。
失ったものへの哀惜や哀しみの発露が表れている歌にとても惹かれます。
昼の月はうっすら白っぽい色で浮かんでいます。
空になじんで溶けてしまいそうな色合いが、
それぞれのなかの「触れえぬもの」と結びつきます。
二首目のやわらかな緑色のふくらみを
「かなしみの萌し」ととらえる感覚が繊細です。
ふわふわしているけれどすぐに消えていく石鹸の泡や
踏まれてしまった花水木にも
主体の心情が投影されています。
短歌日記は毎日短歌を一首、更新していく連載です。
担当する方はとても大変だろうなぁと思いながらも
日々のすきまに生じただろう感覚や小さな発見が
たくさん窺えるのです。