波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

「塔」2016年2月号を読んでいて  その2

塔2月号には「短連作」という5首程度の短い連作についての特集が組まれています。
これが大変に面白かった。ちょうど最近、連作について考える機会があったので、
感想をすこし上げておきましょう。
 * 私の短連作「雪とえんぴつ」も掲載していただきました。
   上位作品の中に入れて、これは単純にうれしかった。

吉川宏志氏の「短連作とはなにか」の中では、
江戸雪、斎藤茂吉、高安国世といった
全く異なるタイプの短連作について考察が行われています。

江戸雪の「からだを起こす」という短い連作については、
繰り返し詠まれている語「光」に着目して、描き方の変化を通じて
時間の変化、さらには主体の心理面での移り変わりを分析しています。
同じ語を使うときに少しずつ変化させていくことで、連作の中に細かい変化をつけると同時に
連続性や統一感をもたらすこともできるので面白いですよね。

斎藤茂吉の「一日」については、倉庫や工場のある月島の夕方の様子が描かれた4首目までの効果、
そして最後の5首目で男女の葛藤で終わる理由や5首並んだ時の全体の効果について書かれています。
今回、「一日」という連作を読んでいると、5首目は奇妙な感じがしたんですが
連作が単調にならない工夫の例として、ひとつ覚えておきたいですね。

高安国世の「言葉」については高安が抱いていた学生、仕事、家庭への思いが
どんなふうに出ているか、解説しています。
かなり心情がはっきり出ていて、歌としては成功していない部分があるといいながら、
あえてこの連作を取り上げたのは、5首の短歌が並んだときに見えてくる
作者の人柄や内包されたテーマの重さを示すためかな、と思います。
なかなか興味深い取り上げ方です。

   *

私は短い連作という言葉で最初に思い出すのは
吉川宏志さんの『曳舟』に収められている「桜の実」という連作です。
この歌集のなかには、人の死やオウム真理教の事件にまつわる連作など
やや重めの内容が目立つ中、やけにきれいな一連だな、と思いました。
またどの歌もいいなと思って記憶に残っています。
今回、せっかくなのでこの「桜の実」を引きつつ、鑑賞してみましょう。

むかいあうあなたの胸にわが影のうつりいるなり五月の夕べ

  読んでほしい本をあなたに貸しにゆくあやめの花の黒き夕暮れ

傘の端ふれつつあゆむ樹下の道しずかなそして伏し目の人だ

桜の実赤しこのまま抱かざれば何も残らぬ夕とならむに

この店を出て別れむかさくらんぼの茎が氷に挟まれている

  書かれたる文字のみにいまつながりて梅雨まえの空うすあおきかな

逢いし日の記憶はあてにならないと思う、おもうが青きつゆくさ

          吉川宏志 『曳舟』「桜の実」

一首目はどこかで待ち合わせして会った時のことかと思います。
一首目と二首目の間に置かれている「黒き夕暮れ」で
不安や鬱屈したような気分を感じます。

二首目の「傘の端ふれつつ」で歩いているときに傘が触れている様子と同時に、
たぶん繊細な関係の相手なんだろう、と予想させます。
傘の端⇒相手の横顔⇒伏し目、と視点が下に向かっていると同時に
相手の顔にクローズアップしていく手法が鮮やかです。

三首目の「桜の実」はドリンクとかに入っているサクランボですよね。
強い赤色と、主体のなかの迷いとが対をなしています。

四首目では結局別れる方向へ傾くのですが、
氷に挟まれている「さくらんぼの茎」という
小さなアイテムの提示が関係を象徴しています。
詞書の歌がクッションみたいな役割を持っていて、
「空うすあおきかな」で次の五首目を暗示しています。

五首目は「思う、おもうが」で転換するのが巧みな見せ方です。
「つゆくさ」の鮮やかな青色で四首目までとは違った心理になっていること、
日数が経過していることを感じさせます。

一連の流れをみていると、色の使い方で心理の移り変わりや、
関係の変化、時間の経過を感じさせる効果があると思います。