今回は江戸雪さんの初期の作品をおさめた「江戸雪集」をとりあげます。
いつのまに信じられなくなったのかフロントガラスにとけるだけ 雪
スカーフに風からませてどこへでも行けると思う今ならば でも
ひきだしの死角のようにいるひとを思い出せなくなるまで、月光
結句がとても印象的な短歌を選んでみました。
一首目、自分のなかに芽ばえた不信感に気づいた瞬間、
はかなくとけていくだけの雪の存在がとても大きく映る、その瞬間の切りとり方が鮮やかです。
二首目、初句からさらさらと読んできて、結句の「今ならば でも」で
ふわりと時間がとまってしまう、時間の操りかたが巧みです。
三首目、こころのどこかにひっかかっていたひとの記憶がいよいよ消えていくプロセスと、
結句の読点につづく「月光」がひんやりした感覚を残します。
じゃらじゃらと鍵束の鳴るポケットは君の宇宙のまぶしいすきま
どこに出せばよいのかわからぬ手紙書くさびしい海のことばかり書く
眼のみずに月がひかりをためるからこの窓の夜は明けなくていい *夜=よ
だれといてもつよくなるしかないわれの枝が真夏の驟雨に濡れる
一首目、鍵束がこすれて音を立てているだろうポケットを、
宇宙の「すきま」であるという気づきがささやかだけど、実は壮大さをもった視点です。
二首目、あてもなくあふれるさびしさをどう扱ったらいいのか、
自分でもわからずに持て余している感じがとても切実です。
三首目、「眼のみず」はやはり涙かなと思います。
「この窓の夜は」で他から断絶された空間にいるような心理が出ていると思うのです。
四首目はなんだか悲愴な感じもあり、ひとりでふんばっている姿を想像してしまいます。
ひらがなばかりの上の句から、漢字が多い下の句への展開が
「われ」の輪郭を浮かび上がらせるような効果を持っていると思います。
碧空をうけいれてきただけなのに異形のひととしてそこにいる
へらへらと忘れてゆくよ初夏にたったひとりが死んだせんそう *初夏=はつなつ
ニュースに題材をとった歌や時事詠はあんまりにもはっきり主張がでていたり
声高に叫んだりする内容だとシラケるか引いてしまうケースが多いです。
江戸雪さんの歌のばあいは、歌の背景を知らなくてもそのまま味わえるし、
歌としても美しいのでその点が参考にしたい点のひとつです。
一首目は「北朝鮮拉致事件」という詞書がついているうちの一首です。
「碧空」「異形」という漢字の配置が、
特異な経験を経たひとのまとう空気を表わしているようです。
二首目の背景は私にはよくわからないです。
結句にひらがなで置かれた「せんそう」まで読んだとき、
「へらへらと忘れてゆくよ」のいいかげんさを突きつけられる感じが鮮烈でした。
ひらがなが多い歌ってやわらかい印象なのに、歌の内容の深刻さとのギャップが
そう感じさせるのかもしれません。
江戸雪さんの短歌は惹かれるけど、あんまりうまくつかめない感じがしています。
評にもちいる言葉もまた難しいですね。