波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

「古典和歌入門」

久しぶりに岩波ジュニア新書を読んでみました。

 

 「古典和歌入門」渡部泰明

 

未知の分野や難しそうな分野への入門書としては岩波ジュニア新書、
読みやすくて大人にもおすすめです。

古典和歌は古文の時間に学んだはずですが、あんまり印象に残っていません。
(たぶんいやいや学んでいたせいでしょう・・)
自分が短歌を詠むようになって、また現代の短歌を読むようになって
和歌の知識も欲しくなって、入門書に手を出しつつある状態なのです。
特に印象に残った3首を挙げておきます。

鳴けや鳴け蓬が杣のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞ悲しき
       曾禰好忠(そねのよしただ)  後拾遺集 

 歌に詠まれている「きりぎりす」は今でいうコオロギだそうですが。
儚い声で鳴く「きりぎりす」に向かって「鳴けや鳴け」と呼びかけ、
「蓬が杣(そま)」の状態であるという視点の取り方が大胆である、と紹介されています。
蓬という草が、まっすぐに伸びる大木のように見える、
これはつまり、「きりぎりす」の視点から世界を見ている歌だそうです。
奇抜ですが、みずから虫になってしまう自由な発想にすごいインパクトがありました。
人間の視点とはまったくちがう視点から捉えた歌には
不思議な魅力があるようです。
なかなか誰でもできるものではないのですが、そんな歌との出会いも大事にしたいです。

君をおきてあだし心をわがもたば末の松山波も越えなむ
             よみ人しらず   古今集 

むかし、百人一首のなかの

 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは

              清原元輔  後拾遺集

をはじめてみたとき、下の句がよくわかりませんでした。
「末の松山っていう地名の山を、波が越えるとか越えないとか、どういうこと?」
って思っていました・・・・。ははは。
「君をおきて」の歌を下敷きにしていたのですね・・・。

けっして心変わりなどしない、という気持ちの強さを示すために
「山を波が越える」という起こりえない出来事を持ち出しているんだ、
という元の歌の意味を知らないと、後に詠まれた歌のことも理解できないですね。

このあたりが長い伝統をかけて紡がれる歌の世界の奥深いところで
私はいま、その入り口付近をうろついているようです。

深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け
          上野岑雄     古今集

亡くなった方を悼んで詠まれた歌でとくに印象に残ったのがこの歌です。
「墨染め」つまり喪服の色に咲いてほしい、とは無茶な願いですが
悲しみの深さを切々と伝える表現だと思います。

この歌は「源氏物語」にも使われているそうです。
最近、漫画の「あさきゆめみし」に再挑戦しているのです。
むかーし、手に取って読みはじめたはいいけど、途中で誰が誰だか
よくわからなくなって挫折したっていう・・・・・
まぁ、漫画でも初心者向けの優しい内容の本でもいいので
源氏物語」でこの和歌が使われたシーンを見るのがちょっと楽しみです。

 

短歌を読むにも教養や力量が必要で、作品のよしあしを見ぬく目の弱さが
ちょっと気になってきているところです。
ただ、短歌は読み解いていくのに、親切なガイドがあるほうがいいようで
今回の「古典和歌入門」みたいな本を利用していこうと思います。

古典和歌に親しむのは、気長な旅行みたいな気分でできるといいなぁ。