波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「灯す」

〆鯖のひかり純米酒のひかりわが暗がりをひととき灯す

  田村元『昼の月』「梅の木」P77

自分の中の暗がりを一時的とはいえ、灯してくれるものが、人それぞれあるでしょう。

 

『昼の月』では圧倒的に、居酒屋や家で飲むときの酒や料理が、主体にとっての灯してくれるもの。

 

「ひかり」とは言っても、実際には、光源の明るさを反射してツヤがあるのであって、飲食物そのものが光っているわけでもないと思う。

 

それでも多忙な社会でサラリーマンとして生きていく主体を灯してくれるのは、多くの居酒屋での飲食であり、目の前の酒やなじみ深い料理なのだ。

 

歌集全体に漂うユーモアや含羞、なんとなく人柄が見えてくるような詠みぶり等、日常の中からひょいっと出てくる歌の面白さを味わえた1冊。

 

一首評「紋」

みづからのからだに刻む紋ありてななほしてんたうの昏き夏

  「沼」『ナラティブ』P205 梶原さい子

てんとう虫の模様は水玉みたいで、可愛らしいイメージだと思っています。

 

てんとう虫に生まれた以上、その模様を背負って生きていくことになるのですが・・・「刻む紋」と言うと、自らの意思で刻みつけた刻印みたいな感じに思えて、どこか痛ましい。

 

「刻む紋」「昏き夏」には漢字、ほかはひらがなというバランスもいい。

 

「沼」という連作の一首目にあり、沼のひんやりした、やや暗い雰囲気と通う部分があるとも思います。

 

おもしろいねえ生きてゐるいつまでも背中に沼が残つてゐる

   「沼」『ナラティブ』P208 梶原さい子

 

「沼」の一連には、終わりにこんな歌もあります。「おもしろいねえ」が、なんだか河野裕子さんっぽい。

 

下の句がなんとも不思議なのですが、冒頭のてんとう虫の一首を改めて考えると、自身も背中に紋があるごとく「沼」に象徴される何らかの暗がりを抱えて生きる、という意味ではないかな・・・?と思うのです。

 

それでいて、「おもしろいねえ」なので、そんなに悲観しているわけでもなさそう。

 

沼という暗がりを意識しつつ、それでもどこか割り切っているような、達観しつつあるような、そんな境地を『ナラティブ』全体にも感じたのでした。

一首評「肉体」

片脚のない鳩のいた野草園 肉体という勇気を思う       

  小島なお 「セロテープ透ける向こう」『展開図』P120

無残な姿を晒しながら生きていく鳩。どこかが欠けたままでも生きていく。

 

まだ生きていくことができる「肉体」が持つ、どうにもできない外見の迫力を思わせて、すこし怖さがある一首。

 

「肉体という勇気」はけっこう思い切った断言です。失ったものと残ったもの。両方を晒しながら生きる様は、言葉にすれば「勇気」かもしれません。

 

鳩のふっくらとしたフォルムや厚み、すこし光を帯びた首の色味など、いくつかのイメージが浮かんできて、生命を包んでいる「肉体」の実在感がなんとなく重さをともなって、納得できるのです。