波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

2020年を振り返ってみる

今年最後の投稿になります。2020年は誰にとっても、驚きやショックの連続みたいな1年になってしまいましたね。

 

私もなんとか無事に年末を迎えることができて、ホッとしています。

 

年のはじめに転居して、新しい生活が始まったことがプライベートでは大きかったな。

 

今年考えたことを少し振り返ってみます。

 

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松村正直『風のおとうと』評「現実との距離、そしてまなざし」(2017)

*松村正直歌集『風のおとうと』評として、かつて「塔」誌上で発表した文章です。今さらですが・・・ブログにも公開しておきます。(3年経っている・・・3年!?)

 

*掲載にあたって一部、表現を変えた箇所があります。

 

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松村正直 『午前3時を過ぎて』

今回取り上げるのは松村正直氏の『午前3時を過ぎて』です。

 

以前とりあげた『やさしい鮫』から約8年、端正な文体がさらに深化したという印象です。

 

(諸事情あって、前の記事を再投稿しています・・・)

 

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一首評「戦士」

ぼろぼろに朽ちたり燃えあがつたりする薔薇がいとしき戦士であつた

 

木下こう「あはくてあかるい」『体温と雨』P127 

 

『体温と雨』に収録されている歌は全体的に、まさに淡い感じの歌が多いです。

 

そのなかでポイントになっているのは、名詞の使いかたではないかなと思いつつ、読み終わりました。

 

薔薇がつぎつぎと咲き、そして朽ちていくさまを「戦士」に例えているのかな、と思っています。

 

「戦士」とはかなり強い名詞で、薔薇から戦士への結びつきや発想にはちょっと驚きました。

 

変わった名詞を使っている歌はいろんなところで見ますが、効果やイメージが読んでいて納得できるか、というとそうでもないケースもあります。

 

この一首のなかでまさしくぼろぼろの姿で「朽ちる」「燃えあがる」といった姿を見せているのは薔薇なのだけど、同時に生身の戦士のイメージを見て取ります。

 

激しい戦闘のイメージや傷つくこと、薔薇の花がもつ重々しさなど、いくつかのイメージが重なって表れます。

 

「いとしき」と言っているので、傷つきそれでも立ち上がるような姿に親しみを持って眺めているのでしょう。

 

イメージを言葉で具体化していくことの難しさや喜びを、私は短歌を詠み、また読むことで日常のなかで何度も感じます。