波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評「椿」

傷つけたことよりずっとゆるされていたことつらく椿は立てり

   江戸雪「空に出会う日 二〇〇二年初秋」『Door』 

 

久しぶりに江戸さんの昔の歌集を読んでいました。

塔に入る前に江戸さんの歌集もいろいろ読んでいたはずですが、今読んだほうが、なんとなく分かるような気もします(?)

日付と詞書のはいった連作から。

この歌の感覚、わかるな、と思います。

自分のいたらなさで相手を傷つけたことよりも、すでに許されていたことのほうが、ずっとずっとつらくて恥ずかしい。

申し訳ないような、恥じ入るような、なんとも居心地の悪い感じがするのです。

「ずっとゆるされていた」なので、かつて相手を傷つけた日からそれなりの日数が経過しているのでしょう。その間、ずっと傷つけていただろうけど、同時に許されていた。

相手の心の広さとか、自分のふがいなさとか、一気に感じてしまって引き受けるのがつらい。

「ことよりずっと」「いたことつらく」の音感の良さ。

句またがり気味の3~4句も、不思議なリズムを作っていて、ともすれば散文的になりそうな言葉遣いでありながら、短歌ならではの気持ちいい一首になっています。

 

すっと立っている「椿」は赤い椿だと感じました。

ぱっと灯るような赤さで、同時になんだか傷の生々しさを思わせる。

「立てり」という締めくくりが印象的で、つらくても居心地が悪くても、それでもすっと立っている。結句のひきしまった感じで、凛とした一首になりました。

 

一首評 「秋」

朝の陽に洗われて立つマヌカンの裸身の裡なる闇にも秋は

 澤辺 元一「秋」  『晩夏行』 

 塔の選者であった澤辺さんが亡くなったのは、今年の2月。

「塔」9月号には気持ちのこもった追悼特集が組まれていました。

それがきっかけで『晩夏行』を手に取ってみました。

挽歌が多い歌集ですが、季節や景色を詠んだ歌にも印象深いものがあります。

 

この一首では、店頭でまだ衣類を着ていないマヌカンを見かけたのでしょう。

マヌカン」のほうが音の響きのせいか、マネキンよりも優雅でまろやかな感じ。

朝の陽の光だから、「洗われて」というすがすがしい言葉が生きてくる。

衣類をまとっていないマヌカンのつるんとした質感を思いうかべて読んでいくと、「裸身の裡なる闇」へと思考が及ぶ。

なかなか見ることはないだろう、マヌカンの内側の黒々とした闇の部分にもやってくる秋。

爽やかな秋の朝の陽からはじまって、一転、しずかな物体の内側の闇へ。

くるっと視点を変えることで、秋の断片を切りとっています。

染野太朗「人魚」

最近、染野太朗さんの「人魚」を読んでいました。非常に読みごたえのある歌集で、印象深い一冊でした。

 

内部には暴力的な衝動を持ちながら、直接の暴力はあまり描いておらず、全体として抑制のきいた歌集になっています。

 

ただ同時に、「人魚」を殴るといった象徴的な連作があり、描きにくい感情を描くためのひとつの手法になっていると思います。

 

 

続きを読む

一首評「欲」

早さではなくて想いがほしいのだが 欲とは初夏の水に似ている   

 染野 太朗   「馬橋公園」  『人魚』

公園で野球少年を見ている一連のなかにある歌です。

 

なにかをほしい、と思う気持ちは誰の中にもあって、けっこう強烈なエネルギーになることがあります。

 

作中主体が欲しい、と思っているのは「想い」。

 

わざわざ「早さではなくて」と言っているので、周りから与えられるものと、本人が願っているもののあいだにけっこうなギャップがあるのかもしれない。

 

「だが」という逆接で区切っているので、「しかし手に入らない」という否定的な結果を予想させます。

 

欲に類似したものとして出される「初夏の水」。この歌のなかの「欲」はぎらついた感じはしない。

 

さわやかさとか眩さなどをイメージさせると同時に、ほんのいっときのもの、といった感覚も感じます。

 

林和清 「去年マリエンバートで」

久しぶりに歌集の評を更新しましょう。

 

歌集を含めて、書籍をじっくり読んでいるだけではなくて、自分なりに評を書いておくのは今の考えを整理して、後から振り返るためにも意味があると思っています。なにより、文章を書くことそのものが、やっぱり楽しい。


去年マリエンバートでは林和清氏の12年ぶりの第四歌集です。

 

全体として、死の匂いと、時間の厚みの濃厚な歌集でした。

続きを読む