波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年3月号 4

特別作品についてはいろんな意見があるようで、

もう少し評もたくさん載せて欲しい、とは

私も前から思ってはいます。

そうはいってもページ数の関係とか仕事の分量とか

いろいろあって難しいのだろう、とも思います。

またそのうち作りかけになっていた連作、送ろうかな。

団栗拾う幼が団栗に変わりそうな稲荷の社にしばし安らぐ    白波瀬 弘子   P109

地面に座り込んで夢中で団栗を拾っている幼い子供を見ているのでしょう。

幼い子供って目の前のことに夢中になっていることがあります。

あまりの夢中さに、そのうち「団栗に変わりそうな」と感じたのかな、と思います。

安らぎを感じているのは、ささやかないっときの時間に過ぎないのですが

とても贅沢で緩やかな時間を感じさせます。

ただ、上の句の字余りが一首を忙しないものにしている面はあります。

あやとりの箒をつくる幼子は指よりはづし掃く真似をする    杉崎 康代    P109

あやとりの箒とは、とても懐かしい遊び。

(箒ってけっこう難しかった記憶があります。私の祖母が得意だった・・・)

細い糸で箒を作っただけでなく、

わざわざ「掃く真似をする」というシーンまで描いていて

幼い子供のなかのリアリティを感じさせます。

どこかで見た掃除をする人の仕草や箒の動き、

それらの記憶がいま、あやとりをしている子供の

指の動きによって真似をして、再現される。

子供は周りの人たちの動きを見て真似することで

行動のパターンを学んでいくものですが、

遊びの時間の中に、かつて見た行動の一端が伺えて

興味深い一首です。

まだ船がなくても船の名を決めて港で待てるきみの生き方   小松 岬     P124

まだ船がないのに、船の名前を決めているということは

近い将来の船の存在を信じている、ということ。

まだないものを信じる、ということは実は難しいことです。

その困難さを引き受けているさまを

「きみ」のなかに見出しています。

たぶん、「私にはできないかも」といった感覚や

きみの純粋さを尊ぶ感覚もあるのでしょう。

やわらかい語でつなげられていて、

主体と「きみ」との関係を思わせる一首です。

七音を探す夜更けの図書室で類語辞典は羽を震わす      中井 スピカ    P125

「七音を探す」とあるので、

短歌につかえる言葉をなにか探っているのかもしれない。

自宅ではなく、「図書室」とあるのがすこし不思議。

かなり遅くまで開いている図書室なのか、

あるいはそこで働いているのか。

類語辞典をめくっていろんなページを見ているときの

紙のめくれるさまが鳥の羽の動きのよう。

たぶん周りに他者がいないだろう静かな図書室という静的な空間のなかで

言葉を探す時間にのめり込んでいる様子を

「羽を震わす」という動的なイメージで表現しているところがいいと思います。

洗濯屋のおしろい花も苅られたり地方裁判所の張紙ありぬ    新井 さの   P126

クリーニング屋の廃業について詠まれた詠草のなかの一首です。

おしろい花」は夕方に鮮やかな色の花を咲かせます。

昔からなじみ深い花ですが、そのカラフルな花がなくなり、

あとには「地方裁判所の張紙」。

おそらく差し押さえされてしまったのでしょう。

いろんな事情が重なり、

ついには廃業する店、いなくなる人。

目には留まるけど、直接はかかわることなく変わっていく

街のなかの出来事はたくさんあります。

そのうちのひとつを懐かしい言葉を用いながら詠んでいます。

無機質な紙を示すのみで、

内容には立ち入らない距離の取り方が印象的な歌です。

おだてられおだてられ訪問着一式を買つてしまへり三十六回払ひ    逢坂 みずき   P145

憧れの着物を購入したらしい。

買ったはいいけど、あとにはローンの支払いが残る。

「おだてられおだてられ」のリフレインによって

どんな会話で店員さんにのせられて

ついに買ってしまったのか、なんとなく想像がつく。

勢いにのって読んでいくと、結句におかれた

「三十六回払ひ」という具体的な支払回数が

効果的で、現実的なお金の話にすとんと落とす面白さがあります。

リズとベスが同じ名だとは思へぬと言ふ我を君はくつくつ笑ふ    加茂 直樹   P154

リズもベスもエリザベスの愛称。

確かにパッと聞いただけでは、元の名前が同じとはちょっと思えないですね。

作中主体は「思えない」派ですが、

歌のなかの「君」はそんな意見をちょっと笑っている。

「くつくつ笑ふ」という表現が面白くて

作中主体の生真面目な感覚が面白くて笑っているのかな、と思いました。