波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年2月号 4

胸に揺れる血の色のポピー一つ一つ私を見てゐる戦勝記念日  

戦勝記念日=リメンブランス・サンデー    加茂 直樹     P122

戦勝記念日の式典に出席したのでしょうか、

それとも画像か何かで見ているのでしょうか。

胸元に飾られている可憐なポピー、

でも赤い色が血の色をイメージさせます。

戦勝記念日、という晴れやかなイメージの裏には

膨大な死があることを感じ取っているのでしょう。

ポピーの一つ一つが主体を見ている、という感じ方には

他人事でない受けとめ方があります。

ここからは他人の鬱がよく観えるいち早く秋日取りこむ窓辺  *鬱=うつ

  中村 英俊  P127

もしかしたら、案外自分ではなく

「他人の鬱」のほうがよく見えるのかもしれない。

窓辺は通常、外の景色を眺めるための場所ですが

「他人の鬱」がみえる、としたことで

他者の内面に通じているような怖さがあります。

秋の日射しをたっぷり入れながら、

実は窓辺から怖いものが見えてしまう。

「いち早く」という語が興味深くて

先取りしてしまう位置にいる怖さを

引き出しているように思います。

追憶ということば長くをともに住みし叔母から聞いた映画のタイトル    福西 直美  P136

「追憶」は1973年のアメリカの映画ですかね?

(2017年に同名の日本映画あるんですけど・・・違っていたらどうしよう)

まぁ、私はたしか古い映画だったな、と思って読んだのでそれでいこう。

「追憶」は結婚したものの、結局は思想や考え方の違いから

別れることになる男女が描かれていた映画ですが

叔母さんには、なにか通じる思い出でもあったのかもしれない。

「長くをともに住みし」とはいっても

叔母さんの古い記憶にまではアクセスできない。

ひとつの言葉からある程度の予想を抱くくらいなのだ。

修復は望めぬと言う取り敢えず今朝の半熟卵は上出来     鈴木 緑   P140

なんの修復なのか、なんともわからない。

ただ、なにかが元の状態に戻ることは諦めないといけないらしい。

その状況の一方で、朝ごはんには半熟卵。

とろっとしていてすぐに崩れそうな半熟卵の脆さが

変化のたえない儚い現実を思わせます。

「取り敢えず」という力の入っていない語がいいな、と思います。

コンビニが消えて生まれるこの町にダーウィニズムのごとき風吹く  高松 紗都子

P144

いろんなコンビニが街中でできてみたり、

いつの間にかなくなってみたりすることがありますね。

経営の波のなかで存在が左右されるコンビニの様子を

ダーウィニズム」と結び付けていて面白い。

風という形をもたない、

無常感の強い自然が出てくるところも示唆的。