波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2018年2月号 2

夜、きみはもう戻れないやり方でポテトチップスの袋をあけた    上澄 眠  P29

夜にスナック菓子の袋を開けた、という歌ですが

文字通りの意味ではなくて、なにかの比喩かもしれない。

「もう戻れないやり方で」という描写に

切羽詰まった感じがあります。

ポテトチップスの袋を開けるとき、

真ん中から大きく袋を裂くようにして開けることがありますが

その動作は思い切った決断をイメージさせます。

初句で「夜、」とすこし間を空けているところも

それまでとは違うんだ、という気持ちの区切りを思わせて興味深い。

いとしいものを数えるための指ならば止り木のごとき一本で良い    白水 ま衣   P32

広い世界のなかでなにを愛しい、と感じるかは人それぞれ。

愛しいという気持ちの対象を指し示す指、

それは鳥が止まるための「止り木のごとき一本で良い」と

言い切るときに、

鳥=いとしいものと対になる存在です。

純粋な気持ちに具体的な物のイメージを与えて

伝えてくれる歌です。

手を合わすつもりはないが気にかかる枝野幸男の仏像の耳    関野 裕之   P33

積極的に支持しているわけではないのだろうけど

かといって無関心でもない、といったところでしょう。

自分の思想や、支持する対象がはっきり決まっていれば

ある意味では楽ですが、

そうもいかないという人も少なくはないのでしょう。

「仏像の耳」はやけに長く、

それは衆生の声をもれなく聞き取るため、という話もあります。

枝野氏は福耳であることが有名みたいで、

この人物は国民の声をきちんと聴いてくれるのか、

そんな思いが結句を導き出したのでしょう。

白菜が昨日と今日を横たわり仕事辞めてもええよと申す    山内 頌子   P36

キッチンに白菜がごろんと置かれているのだろう、と思います。

「昨日と今日を横たわり」は意味に迷うのですが

帰りが深夜に及んでいるのかな、と想像しました。

日付が変わるくらいの時間帯だから

日中なら考えないことや空想しないことも

考えてしまうのかもしれない。

家族や親しい友人ではなく、よりにもよって「白菜」が

退職を促すように「申す」という点に、極まった疲れと

ちょっとした可笑しさを感じます。

くたびれてどうにもならず湯の中のマカロニの穴もおそろしくなる   永田 聖子  P50

疲労感によって普段とは違う感覚が自分のなかから出てくる、

というケースは多いですが

この歌では「マカロニの穴」という細部に

異次元の穴みたいなものを感じています。

たくさんのマカロニを茹でていて、

その穴が、どこか暗くて不気味な

入り口のように思えたのかもしれない。

単に疲労がつらい、といった内容ではなく

その感覚をどう作品のなかに示してくるのか、

作者のもつ感覚なり、発想なりを

読者である私もしっかり見ていきたいな、と最近思います。