波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

塔2017年10月号 1

塔10月号には興味深い評論が載っていました。

大岡信の書籍について3人の評者が書いていました。

私が特に興味を持ったのは沼尻つた子さんによる

『うたげと孤心』に関する文章でした。

ちょっと読んでみたくなりますね。

では月集から。

死者が手を洗えるごとき水の音トンネルのなかに広がりゆきぬ   吉川 宏志  P2

廃線を歩いたときの歌らしい。

「死者が手を洗えるごとき」という比喩がやはりいい。

人気のない薄暗い廃線

その不気味さやすたれた感じを伝える言葉だと思います。

「広がりゆきぬ」がトンネルの中にいる感じが出ていて

たしかに音が響く様子がわかります。

いま、その場にいなくても、まるでそこに自分もいるかのように

読者に思わせるのも描写の力の表れです。

宙に跳び地に落ちるまで熱き熱き薬莢は陽に美しからん     三井 修    P3

武器にも武器特有の美しさってあります。

この歌では、薬莢が撃たれて空中を跳ぶ様子を

スローモーションのように描いています。

短い時間のなかで

熱を帯び、光を反射しているだろう薬莢。

ごく小さなパーツを

存在感をもって描いています。

東入ル西入ル上ル下ルなり今日も飛び交ふ京の燕は     上田 善朗     P6

「東入ル西入ル上ル下ル」は京都の地名によく使われています。

碁盤の目と言われる街ならではの住所の記載だな、と

感心したことがあります。

人だけでなく燕が飛び交う様子につなげたところが面白く

町家の間を燕がせわしなく飛んでいる光景が思い浮かびました。

半分を剝き終へて何かくるしくて林檎の白き肌のなかに   *肌=はだへ   

         梶原さい子     P7

林檎を剥いているときの歌ですが、

半分くらい剥いたところでちょっと手を止めたのでしょう。

赤い林檎を剥いていくことで現われてくる白い果肉、

それを「白き肌」としたことでなんだか

生々しい感じもします。

結句を言いさしで終えているので、

読者もそこですこし立ち止まる感じになります。

余韻のある終わりかたになっていると思います。

鏡池に夜ごと映りし月の縁かじって魚は肥えてゆくのか  *縁=ふち  

          土屋 千鶴    P11

「鏡池」って面白い名前ですが長野県にあるんですね。

池の水面に映る月の端っこに

魚が口を出しているのでしょう。

「月の縁かじって」がユーモラス。

パクパク口を動かしているから

出てきた表現かな、と思います。

動きがイメージできて楽しい歌です。

その幹の白さは死者の素足のようしっかり掴むことはできない   藤田 千鶴  P13

ひとつ前の歌から察するに白樺かな、と思いますが

白樺の幹の白さって独特だったなと思いだします。

「死者の素足のよう」がちょっと怖い比喩で

樹なのにあの白さは確かにそうかも、と思います。

手を触れて掴む、ということをためらうほどの白さを

脳裏に思い浮かべながら味わう歌です。

感情はときにわれより長身で水楢の若葉ふれながら行く     山下 泉   P15

水楢の木立を歩いているときかな。

「感情はときにわれより長身で」という表現がとてもよくて、

感情が主体を抜け出して、樹に触れているという発想が楽しい。

樹々のもとにいるときの気持ちの良さや爽快感を

のびやかに詠んでいる歌です。