波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年5月号 4

おだやかに春につひえる愛憎に名前をつけておけば良かつた      濱松 哲朗    98

「春」に終わっていくのは、たぶん春が別れの季節でもあるためだと思います。
愛情ではなく、「愛憎」という点がいいと思います。
たしかに激しい感情であったはずなのに、
名前さえ与えられなかったものなので
後になればなんであったかすら、よくわからない。
終わっていく感情をすこし離れて見ているような歌です。

冬晴れに一羽の鷺が悠然と中空翔けて雪国展く       矢野 正二郎    102

結句の「展く」という語がとても気にいった一首です。
「鷺」の色と「雪国」のイメージも美しい。
一羽の鷺の動きに、「雪国展く」という壮大な役割を持たせていて
雄大な一首になっています。

歌になるきれいなやまいそんなものあるはずなくて雛菊植える    今井 眞知子   117

「きれいなやまい」そんなものは確かにないのでしょう。
歌になるかどうかつい考えてしまうのは
作品を生み出すものの業なのだろう、と思います。
やまい」とひらがなで表記していることで
初句と結句以外はすべてひらがなになっています。
じっくり目で追いながら、内容をかみしめるように読みました。
「雛菊」というとても可憐な花を植える動作で終わる点も
印象的で、ささやかな行為によって支えられる生を思います。

冬の陽をかへすトングでウェイターがパンの一片載せてゆきたり     高野 岬         *一片=いつぺん  134

(作者名の「高野」は常用漢字で代用しています。)
「冬の陽をかへす」という描写がとてもいいと思います。
よく見ておかないと見逃しそうな一瞬ですが
トングの鋭い印象のツヤがよく伝わります。
慣れた動作でしずかに選ばれ、運ばれていく「パンの一片」。
毎日繰り返されているだろう所作の
ほんの断片を切りとっていて、
さりげないけど印象深い一首になっています。

ふり向いたきみを待たせて深呼吸どの窓もどの窓もゆふやけ    岡本 伸香      154

「ふり向いたきみ」がいるのだけど、あえて深呼吸。
気持ちを落ち着けたいのか、気持ちを切り替えたいのか。
三句目におかれた「深呼吸」という漢字の重量で
すこし歌が引き締まっていると思います。
下の句がよくて、夕焼けの色がどの窓にも映っている様子が広がります。
夕焼けそのもの以上に、その色に染まっている窓の多さに
夕ぐれという時間の特異さがあります。