波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年5月号 3

正しさを愛する者らのつめたさの もう捨てましょう出涸らしのお茶   小川 ちとせ    72 

正しさは強いけれど、ときとして冷たい。
正しいことを言っている人たちは意見が違うものに対して、ときとして冷たい。
っていうことを主体はたぶん、わかっているのでしょう。
一字空けて下の句で「出涸らしのお茶」を
捨てようとする描写に移ることで
あきらめのようなものを感じます。
すっかり味の抜けてしまった「出涸らしのお茶」は
正しさと対峙してきてすっかりくたびれてしまった、
という気持ちなのかもしれないと思います。 

とんかつの店に配達されておりビニール袋に四つのレモン      杉山 太郎      73

街角のちょっとした光景をとらえた一首です。
レモンへの注目がいいと思います。
レモンはとんかつに添えられる脇役なのだけど
欠かせない食材。
「四つ」という微妙な数がよくて
ビニール袋にうっすらレモンの色が
透けている様子が目に浮かびます。

赤い実のゆゑに活けられし南天が捨てられてゐていよいよ赤い     高橋 ひろ子     90

南天はその赤い実のために目立つし、また親しまれる植物です。
「赤い実のゆゑに活けられし南天」が役目が終わって
捨てられていると、その赤さゆえにまた目立ってしまいます。
捨てられているときのほうが「いよいよ赤い」とは
なんだか皮肉で、悲しみも漂います。

好きだった理由を言えば言うほどに 愛は理由がないという窓      田宮 智美     96

今月の一連を見ていると、だれかに内面を吐露している様子です。
昔好きだった人のことも話していたのでしょう。
「好きだった理由」を言えば言うほど
愛とは違っていた、という現実に気づいたのかもしれない。
静かな歌ですが、過ぎ去った感情への悲しみがあります。
「窓」という結句もよくて
内と外を見えながら隔てている窓のイメージによって
「愛」という抽象的な概念に
ひとつの形を与えています。

はるかなる砂丘の馬の背のような塩はガラスの壺にかがやく    中田 明子        97

ガラスの透明な壺の内側に貼りつく塩の様子から
砂丘の馬の背」にまで飛躍するイメージがとても美しい。
塩はけっこうたくさん壺の内側に
貼りついているんじゃないかな、と思います。
ざらっとした塩のきらめきが
馬の背のツヤを思わせたのでしょうか。
日常に見かけるアイテムから
まだ見たことがないような光景への飛躍、
一首のなかに美しく収められています。