光森裕樹さんの歌集はすでに第3歌集まででています。順に取り上げてみましょう。
『鈴を産むひばり』は2010年に刊行された第一歌集。
光森さんの短歌はわりと淡白な印象があって、現実の把握が理知的だけど、美しい詩情も持っているといった印象でした。
美しいイメージの定着
かつて読んだときからとても印象的だったのは、次のような歌です。
ポケットに銀貨があれば海を買ふつもりで歩く祭りのゆふべ
売るほどに霞みゆきたり縁日を少し離れて立つ螢売り
売れ残る螢をつめれば幻灯機 翡翠の色にキネマを映す
冒頭の連作「鈴を産むひばり」のなかの3首です。
夏祭りを詠んでいるなかで、イメージをとても美しく定着させています。
「海を買ふつもり」という気持ちのふくらみ具合。
「螢売り」の手元から螢が売れていくことは、同時に周りを照らしていた螢の明るさが減っていくことです。螢売りの姿が次第に夕闇になじんでいく様子。
売れ残った螢を今後は「幻灯機」としてとらえる発想や「翡翠の色」という色の表現。
これらの美しいイメージの広がりや一首のなかでの語の使い方にとてもあこがれた時期があります。
微細なアイテムと焦点
花積めばはなのおもさにつと沈む小舟のゆくへは知らず思春期
火にかざすべくうらがへすてぶくろの内側となる冬のゆふやけ
そこだけがたしかにひぐれてゐる窓辺きみは林檎の光沢を剝く
今回久しぶりに読んでみて、漢字とひらがなのバランスがとてもいい歌が多いと思いました。
一首目では、思春期というアンバランスな時期の危うさを、花を積んだ分だけわずかに沈む小舟に託して、美しく描いています。
二首目では、手袋の内側から広がる、冬の夕方へのつなぎ方が巧みです。雪に濡れた手袋を裏返して火にあてていると手袋の内側が火の色で明るく、あたたかく見えるのでしょう。
「てぶくろの内側となる冬のゆふやけ」の「となる」という続け方で、すこし強引ですが、広がりのあるイメージに結びつけています。
三首目では「林檎の光沢を剝く」の「光沢」まで描写している点がいいですね。「窓辺」という限定された場所でつややかに夕陽を受け止めている林檎、ポイントのしぼり方もとても上手です。
現実の把握とイメージの結びつき
秋雨をまなかに見据ゑてのぼるとき螺旋階段がほどく錆の香
風力で旋回れるごときクレーンより空に垂線は引かれはじめつ *旋回れる=まはれる
如何なる屋根のしたにて明日は眠るとも検索窓よりひとひらの雪
現実の把握の仕方がとても冷静で、かつ美的な感覚が第一歌集では冴えていたな、と思います。
一首目では、「螺旋階段」という場所の選択が効果的で、真ん中を落ちていく雨粒や
漂ってくる錆の匂いが、螺旋階段という円筒形の場所のなかで上手く配置されています。
二首目も地味ながら面白いなと思いました。風力で動くかのようにゆっくりと回っているクレーン、そこから伸びているロープを空に引かれる「垂線」とすることで、日常の光景を図形としてとらえている面白さがあります。
「検索窓」といった語も光森さんの短歌には時々登場します。
実際に睡眠をとる室内の情景と、毎日利用する液晶画面のなかの検索窓。一首のなかでの対比やつなげ方に無理がなく、まとまりがいいと思います。
今後、続く歌集を読んでみて、歌風の変化など追ってみたいと思います。