波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2016年12月号 1

なんとか続けましょう。塔2016年12月号からいいな、と思った歌を取り上げます。

今回は月集から。

一生のその殆どが幼年期なること羨し蟬声を聞く        山下 洋

蝉の一生がはかないものであることはよくいろんな作品のモチーフになっていますが、
「幼年期」への着目が面白いですね。
人間にとっては幼年期ってすごく短いけど、
蝉にとってはその一生のほとんどにあたる、
という点で人と蝉の時間の感覚の差を思うとくらっとします。

雨の日は壁にサンダル立てかける 手紙読んだよそして泣いたよ      江戸 雪

雨の日には履かないサンダルを休ませるように立てかけている。
バタバタせずに、ちょっと時間があるんだろう、と思う。
そんなときに零れるように下の句の台詞が出てくる。
「そして泣いたよ」とさらりと詠んでいるけど、とても切ない。

感情のなみが鎮まりゆくことを願いつづけてわがさるすべり       松村 正直

内面にざわつきのようにおこる「感情のなみ」、
しずかに治まるには少し時間がかかるのでしょう。
「わがさるすべり」という結句の収め方が巧みで
「わが」という言葉で、自己の内面の揺れや昂りと呼応しています。
また「さるすべり」という風に揺られていると
たっぷりした量感がある植物の選択も
「感情のなみ」という語とマッチしています。

それぞれの生でしかなくいちまいの葉にはひとつの大き水玉    梶原 さい子

蓮の葉を詠んだ短歌がとてもきれいでした。
「いちまいの葉」「ひとつの大き水玉」という蓮の葉の様子から
人もそれぞれの個体でしかない、という達観へのつながりがあります。
個の存在の厳かさとか寂しさとか
いろんな要素を含んでいます。

人生の猫総量は一定か稲穂垂れつつ遠くまで見ゆ      永田 紅

「猫総量」という言い方がとても面白い。
河野裕子さんが大の猫好きだったことは
永田淳さんによる評伝などで読んだことがあります。
紅さんにとっても猫はとても身近な生き物だったのでしょうけど、
最近はそうでもないみたい・・・。
「稲穂垂れつつ」がなんとなく猫の尻尾をイメージさせます。
猫の居る暮らしをたしかに覚えているけれど
おぼろげになっていく感じが出ています。