大井学さんの第一歌集を取り上げてみましょう。なかなか難しい歌集で、しばらく置いていました。
私ではうまく読めない歌もいろいろあるので、読みのうまい人の意見を聞いてみたかったな。
大井さんの短歌では、現代の生活をとても冷めた視点で切り取ってくる歌と、ふるさとや自然を見ているときの柔らかい歌との差が大きくて、ちょっとびっくりしました。
分裂した自己
とても冷めた視点で描かれる生活は次のような歌です。
生きるとはハネを伸ばさぬことである見よ標本の蝶の死に様 *様=ざま
「我」という文字そっと見よ 滅裂に線が飛び交うその滅裂を
玄米のごはんの弁当おとたてずはみていしひと解雇せしわれ
ブロイラーをレグホンの卵でとじたもの同僚一〇人一斉に食む
ルールや常識によってがんじがらめになっていて、生きている間はのびのびすることがない、その対比として提示された「標本の蝶の死に様」が強烈です。「見よ」という命令形も有無をいわさない迫力があって効果的。
二首目では漢字の使い方がとても効果的です。繰り返される「滅裂」という語に分断された自己を意識しているのでしょうか。「そっと見よ」がまたさりげないけど、巧みな語の選択です。
会社に所属して働くサラリーマンとしての面も描かれています。三首目は解雇する権限をもつわれと、解雇される側にいる人との対比が悲しい。
「玄米のごはんの弁当おとたてずはみていしひと」でなんとなく相手の人柄まで伝わります。
四首目は社員食堂だろうと思います。メニューは親子丼だろうと思うのですが、全然おいしそうには見えない。
鶏肉を「ブロイラー」とすることで、大量生産された食材、食事、さらにその食事風景までしっかりと管理されたもの、という印象が出てきます。
大井さんの視点では、毎日、会社に行って社会人として過ごしている自分と、違和感を感じている自己とが分裂している感じが強い、と感じます。
福島と東京
天気図にゆきだるまいて口描かれず原発のある地方のみ雪
かそかなる雪の音をのみきくためにゆきだるま人のごとき耳無し *音=ね
はるのみず首都の蛇口にのむときを北国の雪たりしみず鳴る
大井さんは東京に住んでいるけれど、もともとは福島県のご出身。一首目は天気図にならぶ雪だるまから、「原発のある地方のみ雪」への繋がりがなめらかだけど、納得がいかない感情がわずかに出ています。
続けておかれている二首目は、耳のない雪だるまへの愛着や羨望かもしれません。「かそかなる雪の音をのみきくために」という理由に騒がしい世間との隔絶をどこかで望んでいるように見えます。
東京で飲む水は、もともと「北国の雪たりしみず」であること。「鳴る」という動詞が面白くて、かつて暮らしていた土地の記憶と響きあうように聞こえます。
現実と異世界
ふくしまに菜の花なのはななのはなの咲き満ちてひとはないちもんめ
菜の花のはたけになりはつ収穫もされずに咲いてしまった信夫菜 *信夫菜=しのぶな
いずこより来たりしものぞ通勤の途上に白き紙飛行機あり
2011年の東日本大震災についての歌もあります。一首目と二首目は「バックミラー 2011.03~05」という一連のなかに入っています。
菜の花が一面に広がる光景はきれいな思い出かもしれないけど、震災の打撃を受けたふるさとを描く中におかれていると、よけいに悲しい光景です。
「信夫菜」は小松菜の一種で、福島県で生産される野菜ですね。「収穫もされずに咲いてしまった」で人の手が入り込むことが出来なくなった畑という苦しい存在が浮かびます。
三首目はまた別の連作から。これは有名な『万葉集』のなかの山上憶良の
瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ
いづくより 来(きた)りしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ
の本歌取りかな、と思うのです。
大井さんの短歌には、日常の世界のちょっと外れたところに異世界があるような感覚で詠まれた歌が多いと思います。
通勤中に見つけた「白き紙飛行機」も、別の世界から飛来した物体としてとらえているように思えます。
*
ざっと見てきて、「社会人としての我と内面の自己」「都会とふるさと」「日常と異世界」といった要素で、いくつにも分裂した像が浮かんできました。
大井さんの歌集のなかにはいくつもの自我と、それを見ている自我とのせめぎあいみたいなものを何回も感じました。
あとは哲学や音楽、仏像など私に知識が私に無さ過ぎて、読み切れない歌も多いのが残念だな。またもうすこし知識がついたら再読したいですね。