波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔の合評を終えて考えたこと

今年の7月から12月号まで、塔誌上の合評に参加していました。
(実際に批評を書く範囲は5月号から10月号まで)
塔に載っている作品をいくつか取り上げて、
二者間で批評していくというスタイルで執筆しました。

まずは半年間、なんとか終わったぞ、っていう気分です。
いくつか感じたことをメモとして書いておきます。

 

■難しかった点

1 複数の選歌欄を見て、けっこう広い範囲から歌を選ぶ必要がある。

現在、9つもの選歌欄があるので、担当する範囲を
2人で分割してもなかなかのボリュームがあります。
なるべくいろんな方の歌を取り上げたいので、
私が選歌する分はできるだけ
複数の選歌欄から選ぶように心がけました。

2 私と合評相手とでは選ぶ歌の好みが合っていないので、
自分の好みと違う短歌の批評をするときはけっこう言葉を探すのが大変である。

これが一番しんどかった・・・。
人によって好きな歌、注目する歌が違うのは当たり前だし
取り上げる歌に広がりがあっていいだろう、という言い方もできます。
が、自分が苦手なタイプの歌が選ばれていたときに、
言葉が出てこないんですな・・・。
普段ブログで取り上げるときは、もちろん私がいいな、
と思った歌なんで割と楽に言葉が出てくるんですが
合評担当者が取り上げる歌は、私の好みから
大きく外れているときも、もちろんあるんですな。
私だったら取り上げない歌がたまに選ばれていて、その歌の批評をするのって
けっこう大変だなと実感しましたよ・・・・。
もちろん、これはお互いに大変だったと思います。
逆に、読みの力が鍛えられた部分はあるかもしれませんね。

 

■よかった点

1 塔はけっこう分厚く作品の数も多いが、合評のために早めのペースで読める。

ちなみに塔の頁数は10月号で212頁となっています。
けっこう分厚いんですね。
原稿を書くためにがんばって読むわけです。
時間がなくても、だらだらとせずに読めますね。

2 なんとなく読むのではなく、いい作品を探そうという視点で読むので主体的に読める。

これは非常にいいメリットです。
「取り上げるに値する歌」を探そうとするのは、
自分の選歌のセンスを鍛えることになるのでいい訓練になりますね。
スペースの関係上、取り上げられる歌の数はせいぜい4~5首になるので
どの歌を取り上げるのか、毎回悩むところでした。

3 今まで知らなかった人の名前や作品を覚えられる。

会員数が多すぎて、よっぽど上手い人や個性的な人でない限り、
もう誰が誰だかわからないんですな。
合評で全体をまんべなく読むことで
会員の名前を憶えて、注目したいと思う人が前より増えました。


自分の読みがいいと思っていても、当たり前ですが他人とは考え方がいろいろ違います。
選歌の基準や好みが違うので、お互いが意見をいうことでぶつかり、刺激になりました。

ちなみに塔の会員さんで「面白かったよー」と言って下さる方が複数いたので、
それも励みになりました。ありがとうございました。

 
       *

さて合評をしていて気になった、短歌の読みの妥当性について少し。
読者は「短歌からは読み取れない情報」を無理に
付加して読んでしまうことがしばしばある、ということでした。

具体例を挙げると、塔7月号に載った合評からですが、

乗り込んだら誰もゐなくなる 地下鉄を待つ先頭にをりふし思ふ  森永 絹子

という作品について、合評の担当者からは
「この作品を読んだ時、最初に思い浮かんだのは
原爆で一瞬に人間が高熱でとけるように消えてしまう場面でした。
原爆を落とされた当日、広島を走っていた電車が重なったのです」
という評をいただきました。
これに対して私は「飛躍しすぎだと思う」と指摘したことがあります。

短歌は短い。文字数に限りがある。
それゆえに一首のなかにどんな情報を
どんな形で詰め込むのか、逆にそぎ落とすのか苦心することになります。

過去の作品をふまえて詠まれていることもあるし、
たった一つの語に複数の意味が込められていることもあります。
読者が読み解くにはそれなりの修練が必要になります。
読者がどう読んでもいいという意見もあるし、
作者の考えをまるで無視するのはどうかという意見もあります。
短い言葉のなかにどれだけの情報量をくみ取るのかは
読者ひとりひとりによって大きく異なってきます。

ただ、その作品を読んでいて
どこにも書かれていないことを強引に結び付けすぎると、
あまりにも読者のイメージにそって
作品を捻じ曲げてしまうのではないかな、と思って躊躇することがあります。

一首の、あるいは連作のなかの短歌のどこにも直接には書かれていないのに
極端に政治的、時事的な内容に結び付けたり、
作者の思想を見ようとしたりするのは安易にやりすぎると
作品を読んでいるというよりは
読者の願望や決めつけやイメージを投影して
見ているだけになりがちなのではないかな、と思うのです。

ただ、政治的、時事的内容を読み取るのが
必ずしも悪いといえないこともあるし、なかなか難しいところです。

作品を読むときはできるだけ短歌という制限がある文学のなかに
選ばれた言葉と素直に向き合って読んでみたい、
そんなことも考えました。