波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評 「靴」

秋が来てふたりであるということのたとえば靴をなくしたような
         吉野 裕之「甘きfura-fura」 『砂丘の魚』 

 

ふたりでいるのに、靴を片方だけなくしたような感覚でいる、と読みました。
靴は両足そろってこそ意味があるのですが、
片方だけなくすとなんとも中途半端な感じになります。
靴としか出てこないので、1足まるまるなくしたのか、
片方だけなくしたのかはわからないけど
私は片方だけ失くした感じを想像しました。

ふたりでいるけど、なんともいえない中途半端な欠落感を
抱いている様子を、淡い印象のことばで綴っています。

吉野さんの歌集は全体的に淡い印象で
あまり強烈な言葉の使い方がないので
するすると読めるのですが、
立ち止まって読み解こうとすると難解な歌も多い世界です。