やわらかき部分を突いてくることばそれだけならばよいけれど雨
吉野 裕之「葡萄のような」 『砂丘の魚』
たぶん他者からいわれた言葉、
自分の「やわらかき部分」を突いてくるだけでなく
じわじわ浸食してくるような
ダメージをもたらしてくるんだろう。
そのじんわりした痛みと
結句におかれた「雨」の一文字が
イメージとして読者のなかで結びつく。
雨の降り方もいろいろだけれど、
最初はぽつぽつ降りだしてだんだんと
地面が濡れていく様子は
ことばが自分の内面に迫ってくる様子と
確かに似ていると思う。
「それだけならばよいけれど雨」という
たくさんのひらがなのさきにおかれる「雨」は
あんがい強い雨かもしれない。
ひらがなのやわらかさとの対比が
面白い構造を持っている。