読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

京大短歌22号 その2

前回に引き続き、ゆるゆる感想です。
「京都歌枕マップ」では京都の地名にかかわりの深い歌をピックアップして
該当の場所と一緒に紹介しているのがとても面白かったです。
小さいけどきちんと写真も入っていて、イメージを持ちやすいですね。

京都にはたくさんの大学があって、OBの方たちが学生時代に詠んだ歌を
今の会員がたどるというのもとても面白い企画です。
京大短歌という長い歴史がある短歌会なので
いままでに蓄積された歌も豊富で厚みがあります。
短歌にちなんだガイドブックみたいで
持ち歩きたくなりますね。

「外伝 京都拉麺探訪」は遊び心のある企画で
たまにはこういうのもいいと思います。
ラーメン屋さんに行った日時や同伴者の有無まで
細かく記載されていて、遊び企画なのにこだわりがすごいな、
と思いつつ楽しんで読みました。

                     *

評論も読み応えのある内容になっています。

阿波野巧也さんによる「風景と余白ー吉野裕之論」が
吉野裕之氏の短歌の魅力について、すごくわかりやすい。
全体的な柔らかいタッチ、短歌のなかの余白がその魅力として
いろんな角度から読み解かれています。

あまりぎちぎちに対象を詰め込み過ぎない
ゆったりした余白のある淡彩画みたいな魅力を
十分に論じていると思い、興味深く読みました。

阿波野さんも短歌だけでなく、評論面での活躍が目覚ましいので
今後、注目している方のひとりです。


牛尾今日子さんによる「抒情についてのノート」も
面白い視点で論じられていました。
「実感・リアリティがあること」はながらく短歌の評価軸として
機能してきたけれど最近の短歌のなかで、
その評価軸だけではうまく評価できない短歌があることに注目しています。
この違和感はとても大事なんじゃないかな、と私は思います。

永井祐、土岐友浩、五島諭といった歌人の作品をあげて
抒情のありよう、読みの軸について論じています。

私は最初、土岐の歌を景や感情がいかに迫ってくるか、というリアリティの軸で読もうとしていて、なんだか肩すかしを食らった気持ちになっていた。
     「京大短歌22号」牛尾今日子「抒情についてのノート」129頁

うん、わかる、この感じ。じゃあどう読んだら魅力がわかるのか、
私にはまだぼんやりとしているのですが。
結論で提示されている

抒情の在りようは、歌を繰り返し読んで対話していくうちに見出されるのではないか。
         同上 133頁

という部分に一応の納得をしつつ、
私が読み解くことができない歌(たくさんある)についても
向き合ってみよう、と思うのでした。