幻想的で美しい雰囲気を持つ紀野恵さんの短歌の世界はとても惹かれます。
『La Vacanza』は表紙をひらくと、トランクのイラストがあります。
歌集タイトルから察することができるように
休暇をイメージした世界が広がっています。
単に違うエリアや国に行くのではなくて、中世イタリアや書籍の中にまで
想像が広がっているところにわくわくしながら読みました。
■物体とイメージ
凍てし夜のふねにはりはり食みゐたる春菊サラダ薄く苦き生 *生=よ
朱に滲む冬の帽子のふち飾りならめとほくに種火のやうに *朱=しゅ
午後の底にかろき唸りを溜めてゆく扇風機つね空いろの羽根
一首目は「聖夜餐」というタイトルの連作の中にあります。
聖夜の晩餐を舞台にすこし不気味な雰囲気を持つ一連です。
苦味のつよい「春菊サラダ」という食べ物との組み合わせ
もそのひとつです。
「凍てし夜のふねにはりはり食みゐたる春菊サラダ」は
「薄く」にかかっていく序詞としての役割があると思います。
二首目の鮮やかな帽子のふち飾りと遠くの「種火」との組み合わせ、
三首目の回転しているときの「唸り」によって
存在感を持つ扇風機の「空いろの羽根」など
鮮やかに画が浮かびます。
具体的な物体の提示によって
イメージの世界を広げてくれる歌が多くて
想像力が刺激を受けます。
■「水と火のほとりの庭で」から
高々と髪に挿せるは何時の花沈む都の没り陽のやうな *何時=いつ
落日をたうとうふたり見てしまふ 銅の薔薇を飾れる扉 *薔薇=しやうび
抱擁の後の足裏に染みて咲くほんにちひさき濃きくれなゐの *後=のち 足裏=あうら
「水と火のほとりの庭で」という一連のなかに
この3首はこの順で並んでいます。
とても好きな一連で、何度も読みました。
一首目の髪飾りの花が「沈む都の没り陽のやうな」というイメージに結びつくとき
美しいけれど滅びの予感がします。
単に「没り陽」ではなく「沈む都」がよけいにそう思わせます。
二首目は落日の色と銅の色へのつながり、
落日の光の強さや扉の硬質な質感までありありと浮かんできます。
三首目で咲いているのは花(薔薇でしょう)なのだけど
あえて主語を入れずに省略することで
かえってその花の存在の印象が強まります。
語順の配置も巧みな歌です。
■イメージの広がりや対比
くちづけてゐるあひだにも降りやまぬあめといふあめ薄紫の
籠の中にとことはといふ時の間や次々死んでゆく螢かな *籠=こ
指もて玻璃を確かむ白蓮を夏に抱くほどつめたかりけり *指=および
一首目はひらがなのやわらかさがよく生きた歌。
一首目の結句にある「薄紫の」は雨を修飾しているはずですが、
画面全体に靄がかかったような、豊かなイメージが広がります。
小さな籠のなかの閉じこめられた時間を凝視しています。
「とことは」という長い時間と
螢の短い生との対比が強烈です。
三首目も美しい歌です。
触れた玻璃(ガラスの花瓶か花器かなにか)の冷たさを
「白蓮を夏に抱くほど」という表現で表しています。
たっぷりとボリュームのある白い睡蓮、
触覚からイメージへの転換が鮮やかです。
全体的にストーリーを感じる展開が多くて、
一首一首もまるで映像を見ているような感覚が強いな、と思います。
日常の些末なことよりも
ひとつの世界をつくって描いている作品群で、
私はとても楽しんで読みました。