『駅へ』は、松村正直氏の第一歌集です。
だいぶ前の歌集で、今更読む機会があると思っていなかったので、今回きちんと読めてとても嬉しかった。
最近の松村さんの歌風を結社誌や短歌総合誌で知っているので、初期の歌風を見ていると不思議な気もします。(全体的にね・・・・若い!)
でも第一歌集は、やはり歌人の原点になるのでしょうね。今の歌風につながる歌もいろいろ見いだせて、大変興味深いです。
フリーターという選択と欠落
定職のない人に部屋は貸せないと言われて鮮やかすぎる新緑 P19
雨傘の下から見える町だけを僕は歩いてきたのだろうか P62
忘れ物しても取りには戻らない言い残した言葉も言いに行かない P11
しり取りをしながらふたり七色に何か足りない虹を見ていた P13
歌集の前半には、高学歴なのにあえて自らフリーターという立場を選んで全国を転々とする生活が多く詠まれています。
一首目、職業が不安定な立場にある以上、こういう経験も当然あったでしょう。自己に対する社会からの拒絶が何回も出てきます。また本人も「就職して、結婚して家庭を築いて・・・」という一般的なパターンへの拒否を示しています。
二首目、「雨傘の下から」という限定で、自分が関わることのない世界があることが示されています。
三首目は確かに気づいている忘れ物や、言えなかった言葉をあえて無視する姿勢。「戻らない」「言いに行かない」という自分の意思による否定を重ねることで関係を断っていく。私自身もいろんな関係を断ってきたので、これはよくわかる。
四首目も不完全な「虹」を提示することで、自己のなかの欠落を表しています。「しり取りをしながら」なので、いつ終わるかわからない言葉の遊びを続けつつ、という設定もどこか不安定。
全体的に足りない部分、欠落を繰り返し繰り返し、確認している歌が多く出てきます。
函館や大分といったいろんな街に移り住んでいるわりには、どの街も四季の変化には乏しく、表面的な装いを見せています。
どこへ行ったとしても結局、数年で転居する他人にすぎない関係。他者とは無駄に近寄らないので詳しく知りあうこともないし、いがみ合ったり傷つけあったりすることもない。
立場の気楽さ、関係の希薄さ、淡々とした雰囲気と同時に、埋めがたい空虚さが見て取れます。
不確かな自己の内面を描く歌
手遅れになるのをむしろ待っているように静かな湖の色 P83
輪郭を明らかにして冬が来る冷たい皮膚のここからが僕 P83
それ以上言わない人とそれ以上聞かない僕に静かに雪は P84
明け方の淡い眠りを行き来していくつの橋を渡っただろう P94
一首目は湖の色に託しているけど、結局は自分の内面のことなのだろうと思います。行動しないことで何かをあきらめていく心理を冷静に見ているようです。
二首目は、空気と自分の皮膚の境目をとらえた、ちょっと不思議な感覚の歌。あんまり実体のない自己の存在を、寒い空気のなかのうすい皮膚によって確認しているところがなんとも頼りない感じ。
三首目は結句の省略が効いた歌です。確かめようと思えば確かめられたかもしれない言葉とか心情とか、宙ぶらりんのままになって広がってしまう距離。雪の儚い雰囲気も合っています。
四首目は浅い眠りのなかのふわふわした感覚でしょうか。靄がかかったような感覚を、橋を渡るという行為で視覚的に描いています。
恋人を思う歌
後半になると、恋人の存在感が増してきます。落ち着くべき場所を持たなかった主体の存在がだんだんとくっきりしたものになっていく過程にもなっています。
かつて「結婚しない・就職しない・定住しない」と決めていたはずなのに、決断した結婚。1冊の歌集のなかでの主体の変化は大きく、淡々とした生活の繰り返しだった描写にも変化が出てきます。
君の手の形を残すおにぎりを頬張りたいと思う青空 P58
特急に胸のあたりを通過されながらあなたの言葉を待った P134
郵便が郵便受けに落ちる音聞こえるように君を想いぬ P150
天気図のように二人は抱き合いて互いの身体のさざめきを聴く P160
一首目はずいぶん素直な恋の歌。「君の手の形を残す」でささやかなつながりが、具体的なイメージとして浮かびます。
二首目は「特急」という外部の物体と、自己の内面とも思える「胸のあたりを」の交差が面白い。待っているときの落ち着かない心境をとらえているのだと思います。
三首目は四句目までの長い比喩が印象的。郵便物にとって収まるべき場所に届いた、という安堵感から「君を想いぬ」につながるところで、ささやかだけれど強い思慕を伝えます。
四首目もとても素敵な歌です。天気図のたくさんの曲線の重なりによって、迷いながら抱き合っているようなシーンが浮かびます。
「天気図」とか「郵便受け」とか全体的にさりげない比喩や語を用いながら、イメージは的確に伝わります。
この特徴は今の歌風にもつながっていると思います。 第一歌集をきちんと読めたことに改めて感謝します。