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波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

真中 朋久 「火光」

火光―真中朋久歌集 (塔21世紀叢書)

 

今回は真中さんの「火光」を取り上げてみましょう。
何度読んでもなかなか難解で、手ごわい歌集です。
全体的に読者からの安易な理解とか共感といったものを
最初から拒否しているような雰囲気を持っています。

 


■死や滅びを意識した歌

わが裡にほろびゆくものほろびたるものがおまへをほろぼす かならず

わたくしを殺したのはあなた 知らざればわたくしをここに呼び出しにけむ

たのむよと言はれてわれは曖昧に笑みかへすのみ わたくしは死者

ひとのいのちむさぼつて生きてゐる おまへも おまへもとうに死者

一首目は呪詛のことば。内面に蓄積されていく憎悪や怨念の向かう先を詠んでいるのだと思います。
「おまへ」という言葉は他人のことかもしれないし、同時に自分のことを指しているのかもしれない。
内面の心理を詠んだ、そんな内容がものすごく多い歌集です。

二首目は一字空けが不思議な歌で、
いったい誰が、何を「知らざれば」なのか大胆に省かれています。
「わたくしを殺した」ことを「あなた」はわかっていない、
わかっていないが呼び出しているといった状況が浮かびます。
が、それでも判然としない。

そのすぐ次に置かれている歌が三首目です。
呼び出されたうえになにか依頼されているのですが、
「笑みかへすのみ」ときて、そんな自己の状態を「死者」といっています。

四首目は同じ連作の最後のほうにある歌。
他人を踏みつけにしながら無神経に生きていく状況、でしょうか。
自らを「死者」というだけでなく、周りの人のことも「死者」として
見ているのだと思います。一字空けが不気味な感じを出しています。


【身体は生きているけれど、精神がとっくに死んでいる】
という状態を詠んだ歌が多くて
かなり重たい内容や雰囲気を持っています。
世の中の不条理とか、不本意な状況への怒りみたいなものが渦巻いていて、
生きにくさ、決して願うようにならないもどかしさ、苛立ちとして
心理的になんとなくわかるのですが
歌集のなかの言葉のちからが強すぎて近寄りにくい、
といった印象を受けるのです。


■分裂した自己を詠む歌

東京にただよふごとくゐる父と思ひをらむか と思ひただよふ

地下のつとめ地上のつとめこのさきも引き裂かれつつ生きてゆくべし

死んだふりしてゐたる日々生きてゐるふりしてゐたる日々といづれ

【身体は生きているけれど、精神がとっくに死んでいる】というのは
もちろん、かなり過酷な心理状態をもたらします。
自己がすでに寄る辺ない、あてどないものになっているといった
認識が繰り返し出てきます。

一首目は仕事で東京に行く機会が少なくないようで、
子供たちから見た時の父親のイメージと
その通りの自己の描き方がとても興味深い構造を持っています。
「思ひをらむか」という四句目での疑問と
結句での「と思ひただよふ」という答え方で結びついているのです。

二首目の「引き裂かれつつ生きてゆくべし」の分裂、
三首目の「死んだふり」「生きてゐるふり」の空虚さ、
いろんな分裂や矛盾を抱えて生きているといった状況を
くり返し描いています。

内容が具体的ではないのだけれど
人間の内面の鬱屈や屈折を堂々と描いているあたり
異常な迫力がある歌集です。

■記憶をたどる歌

おとうとを助けてやると囁けるこゑいくたびかあれど とざしつ

あとずさりしつつ扉をとざしたりしづかにいくつもの扉を

ひとつひとつ扉をひらいてゆくことの 痛みは思はずに ひらかむ

初期の歌集から、【幼くして亡くなったおとうと】という
モチーフがくりかえし出てきます。
事情はもちろん知らないのですが、
ものすごく重たいイメージとしてずっと残っているのでしょう。
兄であるのに助けてあげられなかった、というのが
ずっと負い目か罪悪感みたいになっているのかもしれない。

一首目は結句の分裂がとてもつらい心理を出しています。
一字空ける表記がここまで重いと感じた歌集はたぶん、なかったです。

二首目、三首目に出てくる「扉」は内面の扉、記憶の重なりのことだろうと思います。
つらい出来事を封じ込めておきたい気持ちを「あとずさりしつつ」、
そして思い出すときの慎重な心理を「痛みは思はずに ひらかむ」と表現しているあたり、
映像的美しさを持っていて印象深いです。

■まとめ

あとは大変大きな特徴になっているのが、
四句切れと結句の分裂です。

山のむかうが燃えてゐるほのあかり都市の灯あかり ほろびのひかり

おとうとを助けてやると囁けるこゑいくたびかあれど とざしつ

結句が分裂するのは第一歌集のなかにもわずかにありましたが、
この第五歌集では多用されています。
一首を読み終わったときに、ものすごく重さが残ります。
結句に重りがついている、といった感じです。

内容の重さや暗さとあいまって
読んでいるうちにずしっと荷物を背負わされたような気分になります。

読者という他人に分かってもらうことよりも
自己のなかの【なんとしてでも詠むべき】という意思を優先した歌集だと思います。
(いきなり読むとちょっとびっくりするかもしれないですね)

真中さんの歌人としての経歴のなかで「火光」は
かなり大きなポイントになっていくんじゃないかなと思います。