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波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

京大短歌21号 その二

「京大短歌21号」には面白い評論が載っている。
「口語にとって韻律とはなにか―『短詩型文学論』を再読する―」という阿波野さんによる評論です。
短歌には調べが大事、と言われているいわば定番の内容に対して「本当にそうだろうか」と疑問を出し、
『短詩型文学論』の内容を引きつつ、現在の口語短歌の韻律について考察するという非常に意欲的な内容だと思います。
特に永井祐さんや堂園昌彦さんの作品の魅力や特長を韻律の面から分析する内容は本当に興味深い内容でした。

 

私は最初は口語で短歌を詠んでいました。文語の知識がほぼない状態だったので口語で詠むしかなかったのです。
その後、文語の響きや言葉のやわらかさに惹かれて文語で詠むようになりました。
今は主に文語で短歌を詠んでいますが、ときどき投稿作品では口語のみで詠むことがあります。

口語で短歌を詠むということは実はものすごく難しいことなんだ、と気づいたのは
文語で詠むようになってからもっと後のことです。
口語で詠むのは一見すると簡単に見えて、ぼやっとした歌で終わってしまう恐れが高いんじゃないかなと思っています。

口語だけで短歌を詠むと、どうにもこうにも締まりのないだらっとした印象の歌になりがち・・・と気づいてから
口語で詠んで本気で上手い人たちはすごいことをやっているんだなぁ・・・ってよく思います。

文語で詠んでいると、豊富な助動詞のおかげで一首のなかの区切れやポイントを作りやすい、とは思っています。
「き」「けり」「つ」「ぬ」「たり」「り」といった過去と完了・存続の助動詞の使い分けによる時間表現の幅の広さや的確さ、
さらにはその音の強さが歌を引き締めてくれると感じています。

助動詞の数の少なさや文末表現が画一的な点が口語短歌の欠点とは思っていても
なかなか口語の枠の中で克服するのは大変な課題だと思います。
私は自分ではとてもできそうにないなぁ、とか思いながら口語短歌を詠む人たちの今後の試みが楽しみなところです。