波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

京大短歌21号

今回は「京大短歌21号」を取り上げてみます。昨今いろんな大学短歌会がありますが、
京大短歌会はそのなかでもかなりの伝統を誇る短歌会です。
短歌作品はもちろん、評論、歌集の批評会の記録、そして今回は「吉川宏志特集」と題して
京大短歌OBで塔短歌会の主宰でもある吉川氏のいままでの歌集を振り返るというボリュームのある内容になっています。

で、気に入った短歌を引いてみたのですが・・・・
もうね、メンバーの層が厚くて選ぶだけで重みを感じます。

いつまでも閉店セールと思ってた靴屋の解体(はじめての)骨格を見る  「くじらの骨」北虎 叡人

その腕をかかげて夕陽を遮ればあなたはあなたの静かな水際       「窓辺から」牛尾 今日子

廃線と廃駅があり廃線のとなりを走る電車を降りる           「Lonesome」廣野 翔一

いつ前を通っても「閉店セール」の貼り紙がある靴屋、でもついに解体されて
その壊されてゆく様子を見たときの軽い驚きを「(はじめての)骨格を見る」という表現で切り取っています。
「(はじめての)」という言葉をねじ込んで、同時にもうそれっきりであるということも感じさせます。

夕陽を遮る、という行為によって「あなた」が「静かな水際」を
作り出しているということに気づく視点の柔らかさ。
自分のなかのなにかを守っている仕草にも見えます。

廃線」や「廃駅」の繰り返しが面白い歌だな、というのが最初の感想です。
その語の繰り返しによっていま自分が乗ってきた電車もいつかは使われなくなっていくことを予想させて時間の奥行をかんじます。

雪 だれも傘をささずに歩く雪 いまなら好きと言えるのに雪      「玻璃」松尾 唯花

待つための受けいれるためのひとひらの手を寒菊のまるみにふれる    「光の堰」坂井 ユリ

枯らすよりそのままきのうにねじ伏せていくべきだったのだろう心を     「炎」小林 朗人

どちらかと言えばおとうとより父と遊んでばかりいたような夏     「Dragon’s Lair」土岐 友浩

一首目、「雪」という言葉を3回用いて詩的な現象を多角的に切り取っています。
雪の光景と心情の重なり具合が美しい一首です。

二首目では「手を寒菊のまるみにふれる」の「手を」にまでかかる長い修飾により、手もまた蔓かなにかの植物のようです。「寒菊のまるみ」という曲線を想起させることで待つ気持ち、受け入れる気持ちのふくらみを伝えています。

三首目。こちらも「心を」にまでかかっていく言葉が、自分のなかに残ってしまって断ち切れない思いを表しています。どうにもできない心情の表現として巧みです。

四首目は夏の思い出を描いた一連のなかにある一首。「父と遊んでばかりいたような夏」という比喩で昔の思い出へのどことなくちぐはぐした感じを受け取りました。

あげましょう河原に眠る石たちへ使い古した瞳でよければ        「星の受肉」大森 静佳

あきらめず、いやあきらめ続けるのだと微かな呼気を花はおしだす    「雨と光と梅」藪内 亮輔

緑暗きひまらや杉にふる雨はそこへ帰るといふごとく降る        「静粛」島田 幸典

大胆な倒置に特徴のある大森さんの短歌。身体の一部を潔く差し出す勢いと語の選択の確かさ。
大森さんの作品、とても好きなのですがどこがいいのか言葉にしようとするといつもすごく悩みます。

「あきらめず、いやあきらめ続けるのだと」という内面の葛藤が
花の「呼気」へ転化するまでの感情の揺れの描写に静かな迫力があります。

「ひまらや杉」というひらがなの表記が効果的。なんとなく絵本の中のような光景が浮かびます。
連作の最初に置かれているのですが、「そこへ帰るといふごとく降る」という断言で
物語の結末を先に見ているようです。