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波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

「Tri」の感想メモ

先日、短歌史について書かれた同人誌「Tri」を購入しました。短歌史をあんまり知らないので、「Tri」も読んだけどよくわからない部分も多いのですよ・・・。(←勉強不足・・・)
『現代短歌史』が60年代末で記述が終了していて約50年、
半世紀分の記録がいまいちまとまっていないってある意味すごいと思うのですが。

「Tri」を執筆している3人ともにテーマは違うけど、それぞれの立場に違いはあまりないみたい。
スタンダードな立場で書いていると思います。

明治時代から70年代まで、かつては【こうあるべき、目指すべき姿の追及・理想主義的】という
流れがあったけど、80年代のポストモダンの流れのなかで
【どの考え方でもいい、あれもこれもOK、相対的に捉える】という流れに
考え方が変化してきました。
現代の短歌もこの流れにのって存在している・・・のかもしれない。
大事な中心をもつことをためらう、という考えが短歌の世界にも入ってきたのかもしれない、そう感じます。
以下はちょっと思ったことをまとめただけです。

大井さん

1987年に発表された『サラダ記念日』にどうつながるのかよくわからない点がちょっと不親切ではある。
1969年の歌壇の状況を見ているので、(ご本人が後で言われているように)ちょっと遠いなぁ。
ただ、戦後の短歌のなかで女性の短歌の大きな変化のポイントになっているのが河野裕子さんと俵万智さん。

この両者を比較しても面白そうではあるけど・・・大きな流れとしてとらえてまとめようとしているようだ。
面白かったのが「前衛短歌を直接知っている人たちは、前衛短歌へのアンチとしてしか提示できない。
前衛へのアンチではない新しい短歌がでてくるのが河野さん以降」という趣旨は面白い。
このまま話がすすんだら前衛短歌の枠組みを離れたところに『サラダ記念日』が出てくるのだろうと思う。

 

海月さん

『サラダ記念日』をうみだした土壌、背景をスタート地点として書きだしている。
内容の軽さ、手軽さ、気楽さ、女性的なものを歓迎するムードの広がり、
女性の受け入れられ方が変化したという背景を描写してくれた。

80年代の新井素子さんなどのクロスオーバー、ジャンルの越境の増加を繰り返しあげている。
作品を通じての「仲間内の内輪ウケ」が80年代は多かったと思う。(最近の作品ではあんまりないけど)
同じ作者の別の作品に共通のキャラが出てくるとか、他の作者のキャラをパロディ化して使うとか。
SFはその典型的な例だった。
少女マンガでのSF(萩尾望都とか)はわりと多くて、女性向けの分野ではクロスオーバーをしやすかったのかもしれない。

 

濱松さん

イギリスの詩の定義から「ライト・ヴァース」の意味をさぐり、日本で定着した内容との差を掘り起こしているのは面白い。
日本の「ライト・ヴァース」は文体も雰囲気も軽い、内容も軽い。
「シラケたノリを楽しむ」これもポストモダン的な発想。
ポストモダンの流れの中で「ライト・ヴァース」が広がり、『サラダ記念日』が準備されてきた。

すべてにそれぞれの価値がある、相対的な考え方 ⇒ 脱中心的、クロスオーバー

自分が新しいものをうみ出すというよりは既存の組み合わせで新しい見方を示す、という流行になった。
(これはネット上で人気の短歌にも通じるような感覚かもしれない・・・)

「万智ちゃん」っていう自己のキャラ化は前からある手法だが、自覚的によく使われる手法になっていった。
自己さえキャラ化していく軽さは時代の空気とはよく合っていたのだろうと思う。

おまけ

巻末には「つっこみ座談会」なるものが収録されています。
執筆陣の生年が60年代、70年代、80年代とばらばらの3人なので
やっぱり時代背景の認識にはかなり差がありますね。
この「つっこみ座談会」があるのでわりと気楽に読めました。

「Tri」の試みはまだ続くと思うので、次回以降も流れを追っていきたい同人誌です。