波と手紙

小田桐 夕のブログ。塔短歌会に所属しています。         ゆふぐれはあなたのなかに沈みゆくとほき国だと気づいてしまふ

ひぐらしひなつ 「きりんのうた。」

今回はひぐらしひなつさんの「きりんのうた。」を取り上げます。
2003年に出版された歌集ですが、私が手に入れたのは数年前です。
当時、繰り返し読んでいた1冊です。

いいかけで終わる歌

骨と骨つないでたどるゆるやかにともにこわれてゆく約束を

コントラバスは奏者の指を記憶して春の鯨の骸のように

これ以上どこへ還るの もう何も月のひかりを遮るものは

あたたかな雨が鎖骨を濡らす日はむかし滅んだ国のはなしを 

結句がいいさしで終わる短歌が多く、私もけっこう影響を受けました。
存在するはずの言葉をあえて省略することにより、
補われるはずだった言葉の存在を感じさせる、うまくいけば有効な方法です。

「約束を(しよう)」「春の鯨の骸のように(横たわる)」といった感じで
なんらかの言葉を省略されたスペースに想像してしまいます。
残像のように存在しない語、あったかもしれない言葉を見ているのです。

絵を描くときに画面の外にも空間が広がっていることを感じさせるように
構図を組み立てるようにしますが、その手法を思い出します。

父親の死に捧げる歌

一輪の椿を吾に握らせて闇に溶けない白を愛した

無機質なやわらかさ持つ回廊を抜けて木立の中を棺は

雨の日はほかの誰にも触れ得ないノブを回してあなたに出逢う

ゆるやかに漕ぎ出す舟は河口へと着く頃しずかに燃え尽きるだろう

この歌集のなかで特に印象的だったのが「雨の午睡」という一連で
父親の死をベースにして詠まれています。

二首目のように淡々と進んでいく現実と、
三首目ののこされた人の中で何度もよみがえるだろう思い出との間を
行き来する一連になっていて、切々とした描写が印象に残ります。

四首目のようにしずかな終わりを見とどける視点が
のこされたひとの視点だと思うのです。

喪失や滅びの予感

膝を折るきりんの檻に背をつけて雨より深いくちづけをして

真っ白なシャツあおぞらに干すときも視界の隅に方舟がある

またひとり逢えなくなったひとがいる 路面電車に降りしきれ、花

一首目、人間なら跪くようなイメージがある「膝を折るきりん」
二首目、青空のもとにいながらも視野から消えない「方舟」
三首目、「逢えなくなったひと」にささげられるだろう「花」

脆さをつねにどこかに抱えている心理や、
自己の無力さに対する償いのような気持ちが全体に漂っています。
強く刻まれて消えない喪失感を埋めようとするような歌が多いのです。
もちろん、喪失感は強いものなので容易にきえるものでもありません。

わたしのなかにもずっと存在する感情なので、心理的にフィットする短歌が多いのです。
そのあたりが惹かれる理由のひとつなのでしょう。