波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

一首評 「鳥」

枝から枝へたぐるしぐさで生き延びてきみのてのひらを鳥と間違う

        野口 あや子   『眠れる海』

今までの人生がとても危ういバランスに成り立っていたのだろうと思う。

「枝から枝へたぐるしぐさで」なんとか生きてきた

その先に見えてきた「きみのてのひら」。

「鳥」はふんわり柔らかくて温かい小さな命。

最後の「間違う」という語がすこし難解で

やっと見つけた他の命も

たんなるかわいい、優しいではくくれないと気づいた、ということかな。

 

『眠れる海』のなかにはとても抽象的な歌が多くて

いまひとつイメージが分からない歌も多かったです。

一首ずつを読みながら、全体の雰囲気を楽しむ感じで読みました。

 

ぱらぷりゅい

「傘」という意味を持つ同人誌。

関西の女性たちが12人集まって発行しています。

(1回きりで終了らしいので、ちょっともったいない感じはしますが)

各人の12首の短歌が初めに収録されています。

 この眉を蔑するもまた愛するも男だということ夜の紫陽花   

                 江戸 雪 「抱擁」

男性である相手への怒りを感じつつ、

同時に愛してくれることもわかってる、という

苦しさのある歌です。

闇夜に浮かぶ紫陽花、

ぽっと色が浮かぶ不安定さを感じます。

彫ることのさなかに暗い砂が見えるそのひとが黙って暮らした冬の    

             大森 静佳「カミーユ

ロダンの弟子にして愛人だったカミーユ・クローデルを扱った連作から。

大変な才能を持ちながら、次第に精神を病んでしまったカミーユ

「そのひとが黙って暮らした冬の」は

長い間精神を患って過ごした時期をさしているのかもしれない。

彫刻という芸術に熱意を捧げつつ、

同時に大きな苦しみにつながった悲しさのある歌です。

あり得ないたくさんのことを見てきたと伝へても飛び去つた夏鳥   

          河野 美砂子 「門」

「伝へても」結局は離れていった夏鳥

いてほしかったけど離れていった

なにかの象徴かな、と思いながら読んでいました。

連作の前半でピアノのレッスンを描きながら、

後半ではその一方で失ったなにかを詠んでいるのかもしれない。

ゆるやかに発熱すればわたくしを脱けでるごとし冥き馬にて   

          沙羅 みなみ 「傾斜」

熱が出たときの倦怠感をうまくイメージにして詠まれています。

全体的にとても抽象的なイメージの世界が

広がっている連作でした。

そのなかで「馬」がやや具体的で

ポイントになっています。

一輪挿しの首はつめたく伸びあがり母と知らずに抱くイオカステ   

              中津 昌子 「蠍」

一輪挿しのなめらかな円筒形から

ギリシア神話に出てきたイオカステにつなげています。

オイディプスのことを息子とは知らずに結婚してしまったイオカステ。

母子婚の末に最期は首をつって自殺したということなので、

「一輪挿しの首」は官能性を帯びているとともに

死をイメージさせます。

         *

「ぱらぷりゅい」の中ではそれぞれの第一歌集を

お互いに批評してみたり、歌集の記録が掲載されていたり、

盛りだくさんの内容になっています。

特に歌会での会話の記録が面白く、

他人の歌を読み解いていくプロセスを味わえます。

 

私は、参加する歌会はどこでもいいとは思っていないけど、

いい歌を詠める人、歌の良しあしを見分けられる人がいるなら

得るものは多い場所になるかもしれない、と思っています。

「ぱらぷりゅい」に収録されている記録を見ながら

いろんな意見で歌の良しあしが見えてくるのは

やはり歌会の醍醐味だろうと感じます。

塔2017年9月号 5

やっと終わるよー。

なんか9月号は手間取った。

めずらしく君が怒鳴った夜だった私の中の水を揺らして     魚谷 真梨子     P154

夫か恋人か、ケンカして相手に怒鳴られたのだろう。

ふだんはめったに怒らない性格の人なのだろうから

怒鳴られたときのショックはかなりのものだったはず。

「私の中の水を揺らして」で

身体を深く揺さぶられた感覚が分かる。

古き家こはされゆきてむき出しの風呂の蛇口に石鹸揺れぬ   川田 果弧  P154

空き家や古い家が解体されていく様子を詠んだ

歌はいくつか見たことがあるけど、

この歌では家の中からむき出しになった

「風呂の蛇口に石鹸」という点に注目している。

かつてはたしかにそこに誰かの暮らしがあったという事実が

そんな微細な物の描写からはっきりと想像される。

着眼点がいい作者だな、といつも思う。

あたらしくなるため何度も息を吸うなんど吸ってもここは雨間     *雨間=あまあい      加瀬 はる    P155

こちらも独自の視点や発想が面白い方。

自分自身のなかをクリアにしたくて息を吸っているけど

なんど吸っても思うようにはならない、と思っているのかも。

大きく吸い込んで入ってくるのは

雨間のじめっとした空気。

呼吸という生きていくために欠かせない行為のなかに

願望とか諦念とかが混在している。

 

塔2017年9月号 4

・・・・・・もう塔10月号がきました。

早いなぁ。って仕事ぶりがすごいです。

緩斜面下らせて背中見守りき自転車練習のあの春の日は    垣野 俊一郎    P104

前後に採用されている歌から、

息子が自動車免許を取得したことが分かります。

その歌の間におかれている一首だから、

まだ幼い息子の自転車の練習を見守っていたこの歌が

よりいっそう尊く見えます。

単なる斜面ではなく「緩斜面」であったこと、

うららかな春の日であったこと、

ささやかな回想として今よみがえってきたのでしょう。

ブラインドの角度を変えれば風景は光の筋に裁断される    竹田 伊波礼   P124

ブラインドの角度を調節すること自体は

どこにでもある日常の一コマです。

ただ、下の句の「光の筋に裁断される」という描写によって

詩となって立ちあがってきます。

ブラインドの細い面がいくつも動いて光が差し込むことで

窓の外の世界と内側の世界のあいだに変化が起こる、

そのシーンをするどく切り取っています。

着水をするしづけさで友人の唇を見る、鳥の言葉の   石松 佳    P125

いつも独自の雰囲気を持っている作者です。

この一首では話をしている友達の唇に焦点をあてて

鳥が着水するシーンと重ねています。

「しづけさで」は主体の見方や視線が静かなのか、

友人の話ぶりが静かなのか・・・。

結句の「、鳥の言葉の」でなんだか人間の会話では

ないような雰囲気が備わっています。

ガラス器に隈なく姿露して芍薬の花ロビーに咲けり     高野 岬  P125

ロビーにたっぷり飾られている芍薬の花。

主体が注目しているのは

花そのものよりも、ガラスの器のなかで露になっている

芍薬の茎や全体の印象。

「隈なく姿露して」という描写で

多くの人に見られる花の姿が立ちあがってきます。

窓ほそく傾けながら夕暮れを時かけ朽ちてゆく百葉箱    福西 直美    P152

百葉箱は校庭にひっそりと置かれています。

あまり注目されないだろう百葉箱を美しく描いています。

外の世界からの影響を受けにくく作られている百葉箱ですが

「窓ほそく傾けながら」で外の世界とわずかにつながっていて

長い時間のなかでやがて古びていく姿が厳かに描かれています。

芍薬のつぼみを提げてねるための四角い部屋に帰る夕暮    山名 聡美     P152

仕事からの帰りかな、と思いますがたどり着く場所が

「ねるための四角い部屋」という表現が印象的。

マンションの一室のことだろうけど、

その突き放したような言い方は疲れのせいだろうか。

休養のために帰宅する主体の手に握られた

芍薬のつぼみ」がほんの少し

あかるいイメージを添えています。

縦笛の音洩らしいる窓はありそこよりめぐりが夕暮れてゆく    中田 明子    P152

だれかが練習しているだろう縦笛の音が聞こえてくるとき

その窓から「めぐりが夕暮れてゆく」

美しい把握だな、と思います。

大げさな楽器ではなく、たぶん子供が吹いているだろう縦笛の音色や

窓から広がっていく夕暮れという描きかたに郷愁を感じます。

塔2017年9月号 3

加湿器の音を雨かと間違ひぬやさしき雨を待ちてゐるかも    潔 ゆみこ    P59

加湿器の音が雨に聞こえてしまったのは、

主体の雨を待つ気持ちからくるのだろう。

静寂な中に聞こえる雨を思わせる音が

しんみりした雰囲気を出しています。

ただ、このままだとすこし甘い感じもするので、

「やさしき雨を待ちてゐるかも」の部分を倒置にするなどの

方法も考えました。

昼顔のゆるき折り目を見て通るどこかで会つた人に会ひし日   福田 恭子   P67

ふんわりと優しい雰囲気で咲いている昼顔、

ぼんやりした記憶を思いながら見ています。

どこかで会ったはずなのに、はっきり思いだせない記憶と

昼顔という植物のフォルムが呼応しています。

ただ四句から結句は「どこかで会ひし人に会つた日」とする方が

自然な時制になる気がします。

きみのいない街で暮らすということのこんなに軽かったかなサンダル    安田 茜   P69

「きみ」とは離れて暮らしているときに

ふと気が付くのは、サンダルの軽さ。

足になじんだサンダルの意外な軽さで

心もとなさをうまく出しています。

安田さんの短歌って、むりな力みがまるでないなぁ。

ブランコの向こうの空がもう暮れるこの感情には名が必要だ   内海 誠二   P76

ブランコという大きく揺れる遊具の向こうに

暮れていく空を見ながら、今抱いている感情になにかしら

「名が必要だ」と言います。

いままでに感じたことがないような感情を抱えて

持て余しているのではないかな、と推測してしまいます。

傘もたず歩く私をアメリカ人のようだと言われわずか戸惑う    春澄 ちえ    P82

仕事でアメリカに暮らし始めた作者。

傘というアイテムを持ち歩くかどうか、

なんていうところにも国民性が出るみたい。

まだまだなじんでいないアメリカで

アメリカ人のようだ」と言われて、感覚がついていかない。

春澄さんの感覚で切り取ってくるアメリカでの歌が

どんな展開を見せるのか、楽しみにしています。

半年の研修期間を終えるまで食い続けるであろう胡麻パン    森永 理恵    P85

めでたく就職したのはいいことだけど、

同時に新しい場所での格闘にもなります。

「食い続けるであろう」というぶっきらぼうな表現に

日々生きていくために食べる、という迫力があります。

胡麻パン」という素朴な味わいのパンの選択もいいと思います。

こんなんでやってけるかなという不安もこもこ湧いてくる製図室   阿波野 巧也  P88

 こちらも職場でまさに今後を思って不安に駆られている歌。

「こんなんでやってけるかな」と口ぶりはライトだけど

内面にわいてくる不安はどうにもしがたいのかもしれない。

「製図室」という場所も面白い。

そこで(笑)うなよと思う夜こころはまっすぐ飛ばしてほしい   高松 紗都子  p100 

 主体が真剣に言ったことに対して

相手からは(笑)なんてついて返信が来たのかもしれない。

(笑)って返されると、ちょっとムッとする感じになったのだろう。

相手との気持ちの真剣さに差を感じて

もどかしい感じが詠まれています。

(笑)という表現をそのまま取り込んでいて、見た目も面白い歌になっています。

(笑)の入った上の句は、「わらうなよ」と読めば字足らず、

「かっこわらうなよ」と読めば定型におさまりますね。

読み方にも工夫が試される一首です。