波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年6月号 5

やっと6月号が終わりますー。

総入れ歯になりぬと告ぐる父からの留守電を二度聞きて消したり   川田 果弧  178 

細やかな描写が主体の心理を伝えてくれます。

「留守電」ということは、直接言われたわけでもないし、

父親が言葉を発した時間からも、ある程度の時間が空いているということ。

父親がまちがいなく老いていくという情報を

電話という機器を通して

すこし時間をあけて知らされる描写で、屈折感がありました。

しかも「二度」聞く、そして「消したり」という

動作にも心情が滲んでいます。

凧が凧を見ているように舞い上がる中田砂丘の凧上げ大会     水岩 瞳  178

「凧が凧を見ているように」という描写に迫力や動きがあります。

連なった凧が上がっていく様を躍動感のある言葉で描いています。

そのぶん、結句が説明くさくてもったいないかな、とは思います。

LET IT BE 聴きつつ切られてゆく髪足下にうすき闇のひらきて  神山 倶生  186

散髪のときにはらはらと落ちていく髪を

「うすき闇」としている点が目を引きました。

ビートルズの「LET IT BE」という曲の選択も良くて、

髪だけでなく気持ちも身軽になる感じがします。

ただ、「髪」と「足下」がつながって見えてしまうのが気になって・・・。

助詞を補うなど、ちょっとワンクッション

挟んでもよかったかも、と思います。

鉄橋のむかうに見ゆる岸辺には風向きのまま枯れる葦原    岡部 かずみ  187

「風向きのまま枯れる」という描写に惹かれます。

何度も吹いてきた風の存在を感じさせます。

「鉄橋」⇒「岸辺」⇒「葦原」と視点を遠くに移動させていく描き方で、

一首のなかに奥行きがあります。

塔2017年6月号 4

「何にでも名前を書く母でしたから靴の名前で見つかりました」  佐藤 涼子    131

東日本大震災にまつわる一連から。
遺体の身元が判明したのは
几帳面に靴にも名前を書いていたから。
まさかそんなことで役に立つとは
本人も家族も思っていなかったでしょう。
「」のなかに収めることで遺族の会話そのままのように
見せながら、その一方で
身元が分からない、そもそも遺体が見つからない、
そんなケースがあることもうかがわせる一首です。
佐藤さんの短歌も震災とは切り離せない印象がありますが
詠んでも詠まなくてもつらいだろう、
と今回の詠草で改めて思います。

雪やけの椿のつぼみ窓に見え夜ふけの電話とりとめもなし      朝井 一恵    131

「雪やけの椿」という描写が私にはなじみのないものでした。
雪の多いエリアに住んでいる作者には
窓の向こうに雪やけした植物が見えることがあるのでしょう。
たぶん親しい人と深夜に電話でやり取りしている様子と
厳しい気候のなかにある植物の対比を思って
気になる一首でした。
椿の色づいていく赤さや、夜更けの闇の深さが
静かで印象的な描写でした。

旅という一枚の絵の中にいて可愛く思う別府のぷの音      小松 岬      135

「旅という一枚の絵」というとらえ方や
「別府のぷの音」という注目がかわいい視点だと思います。
詠草を見ていると、どうもお子さんが暮らす街かな、と思うのですが
主体にとってはまったくなじみのない土地。
地名のなかのひとつの音、という着目で
主体とその土地とのつながりができたのではないかな、
と思ってしまいます。

野良猫が片足上ぐるによき高さ春のキャベツは大きく開く    長谷川 愛子     138

春のキャベツはやわらかくて、ふんわりした葉になっています。
立派に育ったキャベツの高さを
「野良猫が片足上ぐるによき高さ」とは
とても面白い表現です。
普段から周りの生きものをよく見ている感じが出ています。

鍬おとすごとに真白き根の見えてこの畑なべて十薬の園     丸山 真理子    142

十薬はドクダミのこと。
ドクダミの花ではなくて、「真白き根」を詠んでいる点に注目しました。
ドクダミの繁殖力ってけっこうすごいらしくて
地下茎を張り巡らせている植物ですよね。
この一首、畑にドクダミが繁殖して
取り除こうとしているシーンかな、と思うのです。
鍬を何回も落として、そのたびに目に入る根の白さ。
ドクダミが畑全体に広がった憎たらしいはずの状態を、
「十薬の園」とわざわざ美しく表現している点で
歌という作品にしようとする意図を感じます。

まちがえて生えた羽みたいな冬のカバンをしょって人を待つひと    吉岡 昌俊    157

カバンのことを「まちがえて生えた羽みたい」ということは
冬のたっぷりしたコートにはいまひとつ合っていないカバンなのかな、
なんだか不似合いな感じの恰好になっているのかもしれない、と想像しました。
そしてその恰好で誰かを待っている、というのです。
「人を待つひと」という結句がとても気になって、
表情や仕草から誰かを待っている様子に主体は気づいたのでしょう。
なんだかちょっと異質なものを見てしまった感があります。

幾枚のうすきみどりの付箋立て本は疎林をうちがわにもつ     中田 明子     168

淡い黄緑色の付箋を貼っていくことで
本の中に自分だけのポイントを作ることができます。
木がまばらに生えた林である「疎林」とすることで
読んできた時間や気持ちが
目に見える状態になるのでしょう。
「うちがわにもつ」という語がささやかだけど
本というひとつの別世界の存在を示しています。

日だまりを海としその身横たふる犬よ大陸のごとき呼吸よ     濱松 哲朗      169

日だまりのなかでゆったり過ごす犬を詠みながら
海と大陸というスケールの大きなイメージを取り込んでいて
想像に厚みがあります。
「犬よ/大陸の」という四句目の句割れで一度切って
そのあと結句に流れ込みます。
2回呼びかけることで深々とした
雰囲気が備わっています。

やがてまた雪を降らさむ沖の雲あふみのうみの青に触れたる     篠野 京   172

沖、雲、空の様子と全体の景色をのびやかに描ける一首です。
「あふみのうみ」がとても滑らかで
上の句から下の句を柔らかくつないでいます。
雪を降らすだろう雲の色合いや様子が
詩的に描かれています。

塔2017年6月号 3

ほんとうにさびしいときはさびしいと言わないものだ素数のように   福西 直美    75

ひらがなをたっぷり使って詠まれた歌ですが
とてもしんとした感覚です。
本当のさびしさの中にいるときの心理と
素数」を重ねるところに惹かれます。
「さびしい」「さびしい」「素数」と、
三度だけ繰り返される「サ」行の音が、
歌全体に鋭さを与えるのに一役買っています。

窓ごとの夜に明かりを灯しつつ特急列車は水辺を走る     紀水 章生    79

この歌のなかの「窓」は特急列車の窓だと思うのですが、
列車にあるたくさんの窓そのひとつひとつに
夜がある、というのは面白い把握です。
「水辺」の水にも列車が反射していて
たくさんの光が流れていくように見えると思います。

一片の悔いがあるかは知らんけどその死に様に既視感がある      吉田 恭大  85
              (「吉」は上が土の「吉」)

「知らんけど」というちょっとぶっきらぼうな言い方が目に留まりました。
他者が死んでいくシーンに対して評価を下している、という
とても突き放したドライな感覚です。
どこかで見たありふれた死、という感じで
現実ではなくてどこか芝居のなかみたいな感じがします。

三月の雨の匂いは沈丁花 たがいに傘をかしげる路地の  山川 仁帆    94

春先の穏やかな雨のなかに
沈丁花の強い香りが混じっているのでしょう。
雨の匂いや沈丁花の香りが混沌となっていて
実際にその場にいるような気持ちになります。
狭い路地を通るときに通行人同士で
ちょっと傘を傾けてすれ違うシーンなので
とても狭い空間のなかに
音、匂い、人の気配などいろんな要素が感じられます。

返し縫いおそわりし日のかえされた縫い目のように雪の翔りくる   

*翔りくる=ふりくる   篠原 廣己    112

長い比喩ですが、雪の降ってくる様子の描写に
幼いころの思い出が描かれていて、情感のある歌です。
「返し縫いおそわりし日の」から
教えてくれた人のことも思いだすわけで、
そこにどんな感情があったのか空想が膨らみます。
雪の降るさまを詠んだ歌は多いですが
この歌では主体だけの思い出が重なっていて、
味わいがあります。

塔2017年6月号 2

ゆび差すという暴力に耐えるごと満月、春の空にかがやく      白水 麻衣     24

月という唯一の美しさは、つねにだれかから見られるもの。
特に満月となると余計に目立つ存在。
「ゆび指す」という行為を「暴力」としている点がとても強くて、
美しい存在がもつ魅力と同時に、危うさみたいなものを感じます。

雪柳のふぶくを見てをり名歌とは目方のあると思へて来たり     左近田 榮懿子    24

美しい曲線と、たくさんの小さな白い花が印象的な雪柳。
風に揺られている様子もとてもきれいです。
下の句では「名歌とは目方のある」という
主体の気づいた考えにうつっています。
「目方」でとらえる視点が面白くて、
長らく残っていく歌の中の
どこかで揺るがない重みをイメージします。
風に吹かれて揺れている雪柳の景と
主体の心情とが合わさって、美しく、興味深い一首になっています。

アスパラガスきらいなきみのアスパラガスだまって食べる顔が好きなり    山下 裕美    37

お子さんかな、と思ったのですが、
アスパラガスを嫌いでも食べてはくれるようで
もくもくと食べているのでしょう。
その食べているときの顔を見つつ
その表情が好きだと思っている主体がいます。
アスパラガスの2回の繰り返しで
軽いリズムができています。

火に針を炙りて棘を抜いてくれたあなたがいない春が来ました    吉川 敬子       40

以前、同じ作者が夫を亡くした時の歌を引いたことがあります。

塔2016年12月号 2 - 波と手紙

亡くなった後に夫を思いだすことがしばしばあるのでしょうけど
「火に針を炙りて棘を抜いてくれた」とは
とてもささやかな日常の思い出です。
そんな小さなシーンが故人の人となりや雰囲気を
実に鮮やかに伝えてくれます。

面接の一度きりかもしれぬ町少女に混じり揚げたてコロッケ     江種 泰榮     40

面接に行ったけど、もし不採用ならその町にくることは
もうないかもしれない。
その町の少女に混じって食べる「揚げたてコロッケ」も
一度切りの味かもしれない。
面接が終わった後の疲れとか手ごたえとか
今後の予定とか、あれこれ考えるかもしれないけど
つい買い食いしているシーンを描くことで
妙に共感してしまう歌です。

夕景にクレーンがひとつ立っている諦めがついたような角度で     関野 裕之    41

無機質なクレーンを見ながら、人間の感情を重ねています。
クレーンの曲がり具合を
「諦めがついたような角度で」とすることで
生きていない物体にも
なにかぬくもりが生じるようです。

ほぼすべて意図することは届かないあんずの花があかりにひらく    荻原 伸     43

意図することは届かないことの方が多い。
いつからか知ってしまう諦念を
また確かめるような内容です。
あんずの花は春先にかわいい花を咲かせます。
「あかりにひらく」で灯るような印象があります。
最初は諦めている歌かな、と思っていたのですが
わずかに届くこともあるだろう、という希望を
詠みたいのでは、と思い至りました。

まづ沈みそれから浮くと金魚の死を記憶の底から言ふ人のあり     小林 真代    45

金魚の小さな死の様子を語る人を詠んでいて、
「記憶の底から」にすごみがあります。
もしかするとかなり前のことで、
記憶を掘り起こして語っているのかもしれない。
一度沈んでから浮く、というプロセスを語ることで
生きものの死の描写に迫力が出ています。

ファスナーを開けゆくやうに水鳥は修法ヶ原の池に水脈ひく      *修法ヶ原=しおがはら    渡辺 美穂子   52

美しい情景が思い浮かぶ一首です。
水鳥がすーっと水面を移動していくときに出来る水脈を
「ファスナーを開けゆくやうに」とすることで
映像のような景色を楽に思い浮かべることが出来ました。
シンプルな比喩ですが、俯瞰している視点が加わって
広々とした景色を描いています。

 

塔2017年6月号 1

2週間くらいほったらかしにしていたな・・・・。
本は読んでいたのに。
「塔」も今年の半分が届きました。

 

庭土にソラ豆の芽の並びをりよく笑ふ子の乳歯のごとく     栗木 京子     2 

とても素朴な歌でいいな、と思いました。
「ソラ豆」というカタカナ混じりの言い方がなんとなく
たどたどしい感じです。
小さな子供の乳歯、とても具体的で素朴なたとえが
生きている歌です。

へいわのいしずゑといふ言説のひとばしらのごときひびきをあやしむわれは   真中 朋久    3 

普通はひらがなの多い歌は、ふんわり柔らかい印象になることが多いのに
なんだろう、この不気味さは・・・っていう感じの歌です。
犠牲になった人をときおり
「へいわのいしずゑ」という言い方をすることがあります。
でもその中に、「ひとばしらのごときひびき」を見出して
警戒や疑いの念を抱いている。
88677という形で上の句がとても大幅な字余りになっています。
ぬるぬるとした不気味な雰囲気が全体から出ていて
思わず目を留めてしまう歌です。

 もどらないボートのようにバゲットがパン屋にありて夕闇は来つ        江戸 雪  3

パン屋に並んでいる細長くて硬いバゲット
「もどらないボート」に例えることで
街角の見慣れた風景にもうひとつ別の世界が立ち上がります。
「夕闇」が迫る時間帯だからこそ
「もどらない」という哀愁や切羽詰まった感じに合っています。

 生卵六つ冷えゆくそれぞれにひつたりと春の指紋をつけて     梶原 さい子      7

冷蔵庫に並んでいる卵が6つ、ひんやりと冷えていく。
冷蔵庫に移すときについた主体の指紋だと思うのですが
「春の指紋」としたことで
とても儚い印象を背負っています。

乳がんの痛み知るゆえ遺族らが胸元避けて入れる花々      貞包 雅文     9

これは痛ましい歌。
通常のように顔周りまでしっかりと花で埋めていくのではなく、
あえて胸元を避けて花を並べる行為にも
亡くなった方をしのぶ遺族の心理がよく出ています。
初句、二句がやや説明的な感じはしますが
とてもいい視点だと思います。

夕映えのジムの硝子に映りゐる無数の脚が湖へと駆ける       辻井 昌彦         11 (「辻」の字で代用しています)

 ジムってガラス張りになっていることが多いようで、
近くを通るとトレーニングしている様子が見えることがあります。
主体もたぶんジムの近くを通ってトレーニングしている人たちの
たくさんの脚が同じ方向に向かって動く様子を見たのでしょう。
レーニング中の人たちに、「湖へと駆ける」という意思はないけど
主体の目という観察を通して、
ジムの風景にドラマをもたらしています。