波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2017年3月号 1

塔3月号を読んでいきましょう。
まずは月集から。

息子には息子の闘い 冬の野の遠いところで尖りゆく見ゆ    吉川宏志

自立していく年齢の息子を父親が遠くから見ている歌。
「冬の野の遠いところで」という描写が映像かイメージの世界みたいです。
「冬の野」で厳しい状況にいることはわかるのですが
それ以上に「遠いところで尖りゆく」という語によって
異質な存在になっていく息子の様子を
鮮やかに描いています。

「いつも来る年寄りのひと」と父を呼び母の話の辻褄は合う    前田康子

病気の母親がもう配偶者のことも把握できなくなっている状況。
娘である主体にはつらい状況でしょう。
でも「辻褄は合う」というところに複雑な気持ちを感じます。
わたしの祖母も晩年は
記憶があいまいになっていったのですが、
年老いるって残酷な部分があって、
どんどん欠けていくプロセスでもあるのだろうと思います。

子と暮らす残り時間を思いつつ卵焼き作れば子は喜ばず   松村正直

こちらはまだ自立には時間がある息子さんがいる家庭です。
ちょっと難しい年ごろなのか、
「子は喜ばず」といった状況。
ここで「子が喜ぶ」といった
ありがちな〈いい話〉にしないあたりが
ちょっとした日常の描写として味わい深いところです。
「卵焼き」というなじみ深い料理がいいな、と思います。

弁当に梅干しひとつナースらのドキュメンタリー的食堂の昼   松木乃り 

最後にはまた雰囲気の違う一首をあげておきます。
病院の食堂でお昼ご飯を食べているナースの様子を見ていたのか
「弁当に梅干しひとつ」というとてもシンプルな弁当から
「ドキュメンタリー的」という締めくくりになっています。
ちょっと意外な現実を見てしまった、という感じがあって面白い。

 

 

光森 裕樹『うづまき管だより』

 光森裕樹さんの第二歌集『うづまき管だより』を読んでみました。

2010年から2012年までの作品が収められています。この歌集は電子書籍なんですね。

・・・実際に読んでみて、これはこれでいいかもしれないな、と思っています。

いや、紙の本好きですけどね。

 

第一歌集ではとても美しいイメージを定着させていた歌群ですが、『うづまき管だより』ではもう少し他者の輪郭が出てきたように思います。

 

他者との距離感

いい意味で、ね。と付け足して切るときのパプリカに似たその切断面  

イヤフォンをあらたに買ふは常ふゆのみぞおち友を替へるにも似て   

春紫苑の茎の空洞ひとごとに忘れずのこるものは異なる      

棄てかたと去りかたのみが吾をわれたらしむるもの夏鳥を追ふ     

一首目はとても示唆的な一首です。
他者との会話をしていて、なにかマイナスイメージを
纏った言葉を言ったのでしょう。
「いい意味で、ね。」と付け加えるのだけど
そして決して嘘ではないのだけど
空虚さを内包している会話でもある。
「切る」という動詞は会話を打ち切る
ということかなと思ったのですが、
「パプリカ」という野菜を切るときの動作や
「切断面」のイメージが浮かんで
オーバーラップしていきます。

二首目はなじみ深いアイテムである「イヤフォン」と
友達を替えるという行為の結びつきが面白いです。
とても淡い人間関係はそんなものかもしれない、
という共感があります。
「ふゆのみぞおち」は冬のはじめから中間くらいかな。

三首目は景(具体的なもの)と情(観念や思い)の組み合わせ。
「茎」という細い物体の中の空洞から、
人の内面の深み、残っていく記憶や思い出の差異に
想像が膨らみます。

四首目は共感した歌。
「棄てかたと去りかた」は決断しないといけない局面なので
どうしようもなくその人の特質が出てしまうのでしょう。
夏鳥を追ふ」という結句に主体ならではの去り方のイメージが提示されています。

 

親しい人の描きかた

この秋の把手のごとく見てゐたり君わたり来る白き陸橋

陽を嫌ふあなたがナイフに崩しゆくナポレオン・パイの屋上屋

一方で、親しい人の存在は第一歌集よりもくっきりしてきた感じがあります。
一首目は「この秋の把手のごとく」が美しい。
扉の「把手」という小さな物と、「白き陸橋」という大きな物体との対比が
面白いイメージの重ねかたになっています。

二首目では苺がたっぷりのった「ナポレオン・パイ」を食べている人は
「陽を嫌ふあなた」だという。
「屋上屋」を崩している、というシーンが面白くて
パイ生地が重なっている「ナポレオン・パイ」を
ユーモアを交えて詠んでいます。

 

連作を構成する意識

がたん

並走する列車のなかをあゆみゆく男ありどこか吾に似てをり    

ごとん

並走する列車のなかを見つめゐる吾ありどこか彼に似てをり

光森さんは連作を構成する意識がかなり強い人のようで、
2首~4首あるいはそれ以上の短歌をセットにして
繋がっているときがあります。
上に引いた2首はその一例です。

よく似た短歌ですが、「男」と「吾」が入れ替わっていて、
対になっています。
『鈴を産むひばり』の中にも少しあったのですが
(『鈴を産むひばり』P56参照)
第2歌集以降でよく見かけるようになります。
すこしずつシーンや位相をずらしていくことで
シークエンスを生み出しているので、
映像みたいなつくりだと思うことがあります。

 

第二歌集で出ていた変化に注目しながら見てみました。第三歌集も、もう一度読み直してみます。

 

一首評 「はなびら」

エレベーターにちらばつてゐるはなびらを浮かせるために押す地上階  
        光森 裕樹 『うづまき管だより』

第二歌集『うづまき管だより』を読んでいます。
この歌は一番好きな歌です。

エレベーターという閉じられた空間にちらばるはなびら、
それだけでもなんだか異質な感じがしますが
地下から地上に向かうボタンを押すことで
「はなびらを浮かせるために押す」という詩的な仕草が完成します。

日常のなにげない仕草から一気に
詩の美しさに飛躍させる腕前は変わらずに存在しています。

一首評 「蕊」

つつじの赤い花はなつかし花よりも色濃く長き蕊もつことも
         花山 多佳子 「築地」『晴れ・風あり』 

つつじの花はたくさん咲いて、初夏の華やかな
景色を作ってくれた記憶があります。
たしかに蕊が長くて、すぅっと伸びていたなぁと思います。
「蕊」という部分に着目したことで
つつじという花の特徴をくっきりと描いています。

見慣れた光景を描写の力で
「あ、確かにそうだった」ともう一度よみがえらせる、
そんな力もいいなと思います。

光森 裕樹 『鈴を産むひばり』

光森裕樹さんの歌集はすでに第3歌集まででています。順に取り上げてみましょう。

 

『鈴を産むひばり』は2010年に刊行された第一歌集。


光森さんの短歌はわりと淡白な印象があって、現実の把握が理知的だけど、美しい詩情も持っているといった印象でした。

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