波と手紙

小田桐夕のブログ。好きな短歌について。

塔2016年12月号 5

若葉集。やっと終わるよー・・・。
もう塔1月号が届いたよー。

カーテンの隙より入りし月光を浴びたる肩より露草となる    水野 直美     189

とても幻想的で美しい一首です。
「肩より露草となる」という描写で神話みたいな美しさがあります。
肩というパーツの丸みと露草の花びらのフォルムが重なって見えます。
ただ、「入りし」は過去の助動詞「き」の連体形のはずですが、
現在の様子を描写している歌の中で、
合っていないと考えます。

夜光虫を爪にのせてはとろとろと光の種が流れるを見た     河野 純子     193

「夜光虫」は夜には青く光る海洋性プランクトンですが
「光の種」としたところに詩的な美しさがあります。
夜の海のゆったりした時間が流れています。
本当に夜光虫を見に行ったのか、それとも幻想なのか。
「爪」というとても小さなパーツを
詠みこんでいることで、
はるかに小さな命を身近に見ている情景が生きています。

この歌の君って誰よ友達と塔を見ている中間休み       濱本 凛    197

中間休みは2時間目と3時間目の間にあるちょっと長い休み時間。
20分くらいの中間休みを使って
教室内で「塔」を見ている。
塔は、結社誌ということをはっきりさせて誤読を防ぐために、
「」をつけた方がいいと思います。
歌のなかに詠まれている「君」とはだれなのか、
歌を詠んだ主体はわかっているけど、友達は知らない。
「誰よ」と聞かれてもちょっと答えにくいのかもしれない。
歌のなかの「君」をめぐっての会話で
ナイーブな関係を描写しています。

折り合いをつけるしかない竜胆がたどたどしく咲く花ならよかった     八木 佐織   200

現実はいろんな妥協や折り合いの積み重ねなので
どこかで割り切っていくしかない。
青々とした花びらで堂々と咲く竜胆。
花言葉が「正義と共に、勝利を確信する」と、まあ勇ましい。
とてもそんなに堂々とは生きていけない、
「たどたどしく咲く花ならよかった」という言い方で
竜胆という花へのちょっと屈折した感情が出ています。
下の句の字余りの8音8音が、
「たど・たど・しく・咲く・花・なら・よか・った」と、
たどたどしくブツ切れに聞こえるリズムも魅力的です。

トランプで遊ぶ幼らの小さき輪に皺ぶかき手が一つ加はる      八木 由美子    201

幼い子供を詠んだ歌は多いですが、
描き方がわりと画一的で
パターン通りな歌が多いなと思うこともあります。
この歌では「皺ぶかき手が一つ」というところがポイントで
お年寄りの手を描写することによって
幼い子供たちとの対比や
小さな輪のなかのつながりを
いろいろと想像させます。

塔2016年12月号 4

塔12月号 作品2から。こちらは後半。

したような気がするこんな口づけをパックの牛乳流し込むとき   太田 愛   143

初句の大胆な入りかたがとても印象的な歌です。
どう続くのかな、と思って読んでいくと、
「こんな口づけをパックの牛乳流し込むとき」ときます。
ひんやり冷たい牛乳をパックから飲むときに
よみがえる記憶、
唐突で自分でも驚くかもしれない。
「したような気がする/こんな口づけを」という
句割れや倒置が勢いのあるリズムを生んでいます。

おこりんぼ 触れなば爆ずる爪紅の実よと少女は母に言われき  

*爆ずる=はずる *爪紅=つまぐれ      平田 瑞子    155

爪紅は鳳仙花のことなんですね。
熟した実から種が勢いよく弾けて飛ぶことが知られています。
初句でいきなり「おこりんぼ」と提示して、
そこから「爆ずる爪紅の実」のイメージにつなげることで
少女の気性の激しさがぱっと浮かびます。
鳳仙花の花の色も、怒りという感情のイメージに合っています。

知らぬ児が髪ゆ真水を匂はせてあゆみてきたり擦れちがひざま    藤原 明朗     169

見知らぬ子供の髪の毛からただよう真水の匂いに
気づいたとき、というちょっとした日常をすくっています。
日常の中の、普段とは違う純度の高い部分に触れたような
一瞬を描くのに、短歌は適しています。
ただ、結句の「擦れちがひざま」という語は
「あゆみてきたり」とはいまひとつ合っていないと思います。

そこに汝はゐたのであつたスカートの模様となりてひそみて守宮    𠮷田 京子     174

こちらも導入が巧みな一首です。
「そこに汝はゐたのであつた」で、なんだろう、と思わせておいて
結句の「守宮」まで意外な展開を見せます。
「スカートの模様」のようになじんでいた守宮、
小さな異質を面白い構造で切り取っています。
「なりてひそみて」の「て」の重なりが少し気になりますが
とても印象深い歌です。

気持だけ如雨露のごとき雨が降りひまはりの花うつむいてゐる      広瀬 桂子    181

わずかに降った雨ののち、うつむいている向日葵。
雨はちょっとだけ、向日葵もパッとしない。
暑くて色鮮やかな夏のイメージとは
また違う一面ですが、そこに着目する歌もいいなと思います。
初句の「気持だけ」という語が効果的かどうか、
疑問はあるのですが。

塔2016年12月号 3

塔12月号 作品2から。まず前半。

廃校の名を遺したる停留所二つありたり町に入るまで       富田 小夜子  P100 

 バスに乗っていて、町にたどり着くまでの間に
「廃校の名を遺したる停留所」が二つある、
という描写は淡々としていますが、
現在の少子化の一面を端的に切りとっています。
「二つ」という数字に重みがあります。

汚れたままの足投げ出して昼寝する洗濯物はとりあへずそこ    小林 真代     P106

「とりあへずそこ」という投げ出すような
言い方がとても印象に残りました。
毎日忙しいなか、合間に昼寝をして休息を得るのでしょう。
「汚れたままの足」「投げ出して」という
あけすけな描写も潔くて、気持ちいいくらいです。

寝たきりのあなたの見ている手鏡の中に揺れ入るさるすべりの花     川並 二三子   P114

今号には、さるすべりを詠んだ歌がいくつかありました。
この歌のなかでは、手鏡を通して百日紅を描いた点に注目しました。
しかも「寝たきりのあなたの見ている手鏡」のなかです。
小さな鏡のなかにゆらゆらと咲く百日紅
そばで見ているだろう主体にも「あなた」にも
ささやかな夏の光景です。

頑固者すくなくなりぬ瓶底に塩を噴きたる梅干ふたつ      小圷 光風      P122

昔ほどの頑固者は確かに少なくなったかもしれないですね。
梅干も、昔ほどの塩気を感じるものは少なくなったかも。
「塩を噴きたる梅干ふたつ」には
かつてよくいたものへの哀惜や
親しみみたいな感情があると感じました。

水遣りをたっぷりとして秋の気は奥へ奥へとトンボを去らす    大野 檜    P130

今回の大野さんの詠草、私は好きな歌が多かったです。
庭か公園の水やりかな、と思います。
空気の湿度や温度の変化を
トンボの動きに託して詠むことで
のどかな動きのある一首になっています。
「秋の気は」とまで詠んだ点に注目しました。
秋の澄んだ空気に変わりつつあるなか、
奥行きを表現していることで、空間の広がりが出ています。

 

塔2016年12月号 2

作品1から取り上げます。

しっぽまで餡の入った鯛焼きのようなる人の自慢のしっぽ       白水 麻衣    P34 

「しっぽまで餡の入った鯛焼き」は嬉しいけど
他人の自慢話はあんまり楽しくない。
きっと話相手はとても自慢話が好きな人なのだろう、と思いました。
ちょっと皮肉っぽいユーモアがあって面白い一首です。

 

豌豆のあとはゴーヤを支えたる夫の残した結び目ほどく        吉川 敬子    P41

夫をなくされたらしく、農作業などを引き受けて、
続けていかなくてはならない日々を詠まれています。
「ほどく」の語の選択に、悲観的なだけでない、
心のひだを掬い取ったような魅力を感じます。

話を聞くことが仕事でありし日の耳をわたしは失いてゆく      金田 光世    P46

仕事に就いていたころにはだれかの話を聞くことが
とても大事だったはずですが、
その仕事を退職なさったのでしょう。
かつての仕事から遠ざかっていく日々の感覚を
「耳を」失っていく、としたことで
余韻の残る歌になりました。

どんな歯を磨いていたか歯刷子に生前という時間はあらず     永田  愛     P51

駅のホームに落ちている歯刷子に注目した一連でした。
たしかにだれかが使っていた歯刷子だけれど、
その時間はだれからも気にされない。
「生前」という厳かな一語をもってくることで
使っていただれかの時間の一部を想像してしまいます。

塔2016年12月号 1

なんとか続けましょう。塔2016年12月号からいいな、と思った歌を取り上げます。

今回は月集から。

一生のその殆どが幼年期なること羨し蟬声を聞く        山下 洋

蝉の一生がはかないものであることはよくいろんな作品のモチーフになっていますが、
「幼年期」への着目が面白いですね。
人間にとっては幼年期ってすごく短いけど、
蝉にとってはその一生のほとんどにあたる、
という点で人と蝉の時間の感覚の差を思うとくらっとします。

雨の日は壁にサンダル立てかける 手紙読んだよそして泣いたよ      江戸 雪

雨の日には履かないサンダルを休ませるように立てかけている。
バタバタせずに、ちょっと時間があるんだろう、と思う。
そんなときに零れるように下の句の台詞が出てくる。
「そして泣いたよ」とさらりと詠んでいるけど、とても切ない。

感情のなみが鎮まりゆくことを願いつづけてわがさるすべり       松村 正直

内面にざわつきのようにおこる「感情のなみ」、
しずかに治まるには少し時間がかかるのでしょう。
「わがさるすべり」という結句の収め方が巧みで
「わが」という言葉で、自己の内面の揺れや昂りと呼応しています。
また「さるすべり」という風に揺られていると
たっぷりした量感がある植物の選択も
「感情のなみ」という語とマッチしています。

それぞれの生でしかなくいちまいの葉にはひとつの大き水玉    梶原 さい子

蓮の葉を詠んだ短歌がとてもきれいでした。
「いちまいの葉」「ひとつの大き水玉」という蓮の葉の様子から
人もそれぞれの個体でしかない、という達観へのつながりがあります。
個の存在の厳かさとか寂しさとか
いろんな要素を含んでいます。

人生の猫総量は一定か稲穂垂れつつ遠くまで見ゆ      永田 紅

「猫総量」という言い方がとても面白い。
河野裕子さんが大の猫好きだったことは
永田淳さんによる評伝などで読んだことがあります。
紅さんにとっても猫はとても身近な生き物だったのでしょうけど、
最近はそうでもないみたい・・・。
「稲穂垂れつつ」がなんとなく猫の尻尾をイメージさせます。
猫の居る暮らしをたしかに覚えているけれど
おぼろげになっていく感じが出ています。